『小説朝鮮高校物語ー士官大「天長節」新宿決戦』 第1部朝鮮高校青春グラフティー 第イイ章 朝高魂 <ハナ> 朝高魂 |
オレの母校・朝鮮高校、略して朝高(チョーゴ)。 アウトロー学生の世界では、 ー泣く子も黙る日本最強のバンカラ高校! という誉れが高かった。 かくいうオレ達自身も、 そして解放後の創立から 去年卒業していった先輩達も、 ー朝高は最強! という揺るぎない自負と矜持(きょうじ)を持っていた。 たかがケンカ、されどケンカ。 オレ達は、 「敵地・日本でのチョッパリ相手のケンカでは、 絶対、負けることは許されない!」 と固く誓っていた。 これはいわば、 ー朝高の伝統 であり、 ー朝高の美学 であり、 ー朝高生の生き様 なのだ。 オレ達は、 ありとあらゆる朝高風土を通じて ー朝高魂 を叩き込まれたのだ。 |
(1) (1の1) (1の2) (1の3) |
朝高は、校章が3本のペン(通称サンペン)なので あたかも進学校のようだが、現実はまったく違った。 (1の1) オレ達のことを敵意ある日本人は、 ーチョン高 と蔑称していた。 朝鮮学校の先生が言うには、 「トンムドゥル! 朝鮮民族の一員ならば、 輝かしい未来が約束されている朝鮮青少年ならば、 昔から朝鮮人を蔑視し、 差別し続けてきたウェノム(倭奴)の悪行を けっして忘れては行けません。 たとえば、 ーバカチョン・カメラ の「チョン」というのは、ウリ朝鮮民族のことです。 ーバカでも、チョンでも、誰でも、簡単に撮れるカメラ という意味です。 悔しくありませんか? 朝鮮の大丈夫なら、 この民族的屈辱を絶対、忘れてはなりません!」 と 純情無垢なガキの頃から、 反日教育でプロパガンダされ続けているのだから、 (クソッ〜、ウェノムどもめ〜) とガキなりの復讐心に燃えたぎるのだった。 朝鮮学校の先生から、 ー昔の日本人による 朝鮮人への殺戮・迫害・虐待・差別・蔑視 をプロパガンダされると、 憤りに満ちあふれると同時に、 (オレ達の上の世代の朝鮮人は、悔しかったろうな) と思わざるを得なくなるのだ。 在日一世朝鮮人のハルベやハンメが若い頃には、 「鰯が魚か? 朝鮮人が人間か?」 と同世代の日本人から蔑まれ、 人間扱いされなかったらしい。 それだけじゃない。 ー朝鮮人は頭のないバカな劣等民族 という含意で、 「朝鮮人」の「朝」という頭をとって ー鮮人(せんじん) とあからさまにバカにしたっていうじゃないか。 実際、昔の役員どもは、公文書で使っているしな。 こんなひどい状況におかれた「一世」達は、 きっと、 「いつの日か、ウェノムを見返したい!」 と誓ったに違いない。 だからかな〜、 朝高の校章が3本のペンなのは。 ちなみに、「一世」達は、 よく日本人のことを ーチョッパリ! と吐き捨てるように罵っていたっけ。 これは、イルチェ(日帝)の植民地時代に、 支配されていた朝鮮人が、 支配していた日本人につけた蔑称さ。 昔の日本人は、 今とは違って足袋と下駄をはいていただろう。 その姿が豚の足、 朝鮮語で発音すると「チョッ・パル」に似ていたので ーチョッパリ と蔑んだらしい。 昔の日本人が朝鮮人のことを ーチョン とか、 ー鮮人 とか、 ー半島人 と蔑んだことに対する 仕返しの意味もあるんじゃないかな。 悲しいけど、 どっちもどっちだと思わないか。 人間ていう動物は、おろかだよな。 なにせ差別が大好きらしい。 気持ちがいいんじゃないかな。 他人とか、 違う民族とか、 外国人を差別するってことはさ。 自分や自分たちより、 弱くて、 貧乏で、 みすぼらしくて、 おまけに、くさい劣等な奴や集団を みつけたり、 作ったりしながら、 いじめることで、 安心するんじゃないかな。 ー私の人生は、あいつらよりましだ! ってか。 くだならいよな、まったく。 きっと、そういうことを喜んでやる奴らは、 自分に自信がないんじゃないかな。 (1の2) まぁ、待てよ。 サンペンが校章だからといって、 朝高をガリ勉校と勘違いしてもらっちゃこまる。 朝高を創ってくれた「一世」には 申し訳ないと思うけど、 朝高は、 日本の大学に進学するために 受験勉強をしにくるところじゃない。 進学なんてのは、 オレ達にとって、どうでも良いことだった。 ピヨピヨの同窓生が、 「日本人は東大という学校に憧れているらしい」 「へぇ〜、本当か?」 「なんで?」 「きっと、儲かるんじゃないか?」 「パチンコよりも、儲かるの?」 と噂していた。 どうでもいいじゃねぇか! オレから言わせれば、 東洋大学も、 東海大学も、 東京経済大学も、 略せば、 みんな「東大」さ! そうそう、 天才バカボンのパパが卒業したバカ田大学も 結構、人気があるらしいな。 ここの卒業生は、 朝鮮人がキムチが好きなのと同じくらい 校歌が大好きらしい。 ーみぃ〜や〜こ〜の〜 と〜ぉ〜な〜ん バカ田の森に〜 から始まって、 ーバカ田! バカ田! バカ田! バカ田! バカ田! バカ田! バカだぁ〜 と、 しつこく7回も復唱するらしい。 確か、バカ田大のライバルは、アホ大? 否、違ったなぁ。 そうだ! 思い出したぞ! KO大だ!!! この大学の出身者も、 朝鮮人の殆ど全てが、 ー先祖はヤンバンだ! と胸を張るくらいプライドが高いらしい。 なにせ、 ー井の中の王者! KO〜! と誇らしげに歌うようだし。 きっとここは、 格闘技系の体育会が盛んなんじゃないかな。 KO大の卒業生は、 いい歳こいても恥ずかしがらず、 やたらと群れたがるらしいし。 やっぱ体育会系の絆は強いんだな、きっと。 推薦入試試験の面接で、 「面接試験官を上段跳び後ろ蹴りでKOすれば、 即合格! さぁ! かかって来なさい!!」 てなことになれば、 ケンカ・テコンドーの猛者でならしたオレは、 ビシッ! と決めちゃうね。 「うっ! いっ、いい、けっ、蹴りだ ごっ、合格!! うっ、う〜ん」 ドテッ と見事、試験官を華麗にKOするから、 まちがいなく主席合格だな。 まぁ、オレ達、朝高生にとっては、 どうでも良いことだ。 東大も、バカ田大も、KO大も。 朝鮮人青年は、 いずれ、 ー統一された祖国に帰る! のだから、 日本の大学に行く必要がないしね。 だいたい気持ちがいいのか? 若くて瑞々しい青いキュウリなのに、 何が悲しくて、 朝から晩までシコシコと、 心と身体、 何よりも「息子」に悪そうな受験勉強てのはさ。 オレは、ごめんだな。 朝高の勉強だけでうんざりだ。 (1の3) まぁ、実際、 同窓生で日本の大学に進学できそうな奴も少なかったけどね。 第二外国語の日本語の授業で、 ー鉄チン291号 の異名を持つ呉鋼鉄(オ・ガンチョル)先生が、 黒板のど真ん中に、 ドでかく、 ー虐待 という漢字を書いたことがあった。 教室は、一瞬、 ザワ、ざわ、ZAWA と、どよめいたね。 なにせ、呉鋼鉄から指名されて漢字が読めないと、 「イノムセッキ!(この野郎、に近い) こんな漢字も読めないのか!!」 バシッ 「ギャッ!」 と問答無用で、 右ストレートをチン(顎先)にぶち込むからね。 これが痛いのなんのって。 2m近い化物が、 斜め下に打ち下ろす右ストレートの威力は、 実際、喰らってみないと、 わからないだろうなぁ。 やられた奴は、みな、怨み骨髄で、 吐き捨てるように言うんだ。 「あいつの拳は、鉄のようだ」 とか、 人差し指と中指と薬指のはらでチンをさすりながら、 「喰らってから1週間経っても、チンが痛くて痛くて」 とか、 ぜんぜん人気のない先生なので、 「オレ達は朝鮮人だ。 いずれ祖国に帰るんだろう! だったら、外国語の日本語の 漢字の一つくらい読め無くったっていいじゃねえか! それなのになんだ! あの野郎は! まるで士官大みたいに、殴りかかってきやがる。 にくい奴だ!!」 と言うので、 ついた渾名が、 ー鉄チン291(ニ・ク・イ)号 だった。 例外は、いつものとおり、 机の上に、 汚いよだれで、 ナイル川を建設中の 天然ボケのムン・ドマンただ一人。 理由は昼寝中だから。 呉鋼鉄、 就寝中のドマンを見つけて、 ニヤリ と、ほくそ笑みながら、 ムン・ドマンの席に近づき、 奴の後頭部を、 大仏のようなドデカい手で、 ビシッ とひっぱたいた。 「ギャッ!」 建設中のナイル川は、一挙に氾濫した。 「ドマン! イロソッ(立て)!!」 (あれ? ドマンの奴、顔がひきつってるじゃねえか) さすがの天然ボケも、 この授業が、 ー鉄チン291号 の恐怖の授業だということに気付いたようだった。 「イェッ!」 と大声で叫びながら、 ヒットラーの親衛隊のような起立をした。 呉鋼鉄は、 黒板の真ん中に、ドデカく書かれた ー虐待 を指さして命令した。 「イルゴボ゙ラ!(読んでみろ)」 その一言で、ムン・ドマンの苦悩が始まった。 奴は、悲鳴こそださなかったが、 拷問でもされているような 苦渋に満ちた表情になっていた。 「う〜ん?・・・・・」 鏡を目の前にしているガマ蛙のように、 脂汗をかき始めている。 かれこれ5分が過ぎてしまった。 「う〜ん?・・・・・」 (・・・・) さすがの呉鋼鉄も、 ムン・ドマンだけは、例外扱いだった。 天然ボケが 無い知恵を一生懸命絞っているのだから 問答無用で殴るわけにもいかず、 (可哀想なことをした・・・・) と憐れみすら感じているようだった。 無為に過ぎて行く授業時間に、 あらがうことはできなかったのだ。 オレ達、同窓生も、 メッタにお目にかかることの出来ない ー鉄チン291号対天然ボケ、世紀の漢字対決! をかたずを飲んで見守った。 「ゴクっ」 「ゴクっ」 「ゴクっ」 時が無為に過ぎて行く。 呉鋼鉄が、 チラッ と腕時計を気にし始めた途端、 ムン・ドマンが意を決して叫んだ。 「トラジ!!」 「・・・・」 「・・・・」 「・・・・」 その場で爆笑できた同窓生が、 40人中7人しかいなかった。 何となく悲しいよな。 ーおまえは読めたのか? って。 あたりまえじゃないか。 オレは、一応、 インテリゲンチアのはしくれだから、 「虐待」ぐらい読めたさ。 おかしくって前歯がぬけそうだったよ。 |
(2) (2の1) (2の1の1) (2の1の2) (2の1の3) |
(2の2) (2の2の1) (2の2の1のイ) (2の2の1のロ) |
(2の2の2) (2の2の2のイ) (2の2の2のロ) |
(2の2の3) (2の2の3のイ) (2の2の3のロ) (2の2の3のハ) (2の2の3のニ) (2の2の3のホ) |
(2の2の4) (2の2の4のイ) (2の2の4のロ) (2の2の4のハ) (2の2の4のニ) |
(2の3) (2の3の1) (2の3の1のイ) (2の3の1のロ) (2の3の1のハ) |
朝高は、 個人利己主義(ケインイギジュウィ)的な 大学進学のための受験勉強をする場所ではなかった。 オレ達、朝鮮人青少年に、 ー敵地・日本! での生き様を教えてくれた道場だった。 オレ達は、 朝高生活でのありとあらゆるシーンを通じて ー誇り高い朝鮮のサナイ(立派な男の意)! になるための ー朝高魂 という美意識を叩き込まれ、 自己陶酔していった。 ガキなりの朝高魂の実践は、ケンカ以外にない。 だから、オレが青春を謳歌した朝高は、 同世代の日本人とのケンカに負けない 精神的、肉体的な強さを徹底的に追求する ー朝鮮虎の穴 であり、 朝鮮人としての男を磨く ーケンカ道場 だったとオレは思う。 (2の1) ケンカに強くなる ー明日のためのその1! 朝高生は、 ー打たれ強くならなければならない! のだ。 とくに重要なのは、 ー顔面強化!! なのだが、 伝統的な鍛錬方法は、 ソンベからのヤキだった。 (2の1の1) 去年の4月4日(月曜日)の獅子の日。 オレは晴れて朝高生になった。 毎年のことだが、 入学式の日の8時から9時にかけて、 国鉄・赤羽戦の九条駅構内から、 朝高の校舎内迄の1kmの間は、 ヤナギヤ・ポマードでテカテカ頭の 男子1学年生(イルハンニョンセン)約250名による 絶叫にも似た 「アンシカッ!」 「アンシカッ!」 「アンシカッ!」 の大合唱で、 かなりうるさくなる。 たとえて言うのなら、 真夏の富士の樹海の中、 1週間しか命が残されていないオスの蝉が、 交尾相手のメス蝉を探し求めて 必死に鳴いているのと似ていなくもない。 新入生が、狂ったように叫び続ける ーアンシカッ! というのは、 朝鮮語の ーアンニョンハシンミカ!(おはようございます) のことだが、 どうしてそれが変形して、 ーアンシカッ! になるのかといえば、 「ソンベからのヤキが怖い!」 からで、 「早口で叫ばないと危険!」 だからだ。 朝高は、 ー人間は皆平等! 階級と搾取のない平等社会実現!! の理想に燃えた マルクス・レーニン主義を基礎とした ー金日成主体思想的社会主義・共産主義教育 を標榜していた。 けれども、実際の朝高での人間関係は、 朝鮮が日帝の植民地にされる迄、 500年間も続いた李氏朝鮮王朝が、 朝鮮儒教を通じて朝鮮人各層に浸透させた ー封建的不平等階級社会 だったからだ。 朝鮮語に敬語が多いのは、偶然ではないのだ。 朝鮮儒教は、長幼の序にうるさい。 歳が一つでも違えば、 天皇と平民位の差が生じる。 もちろんソンベに対するタメ口は絶対許されない。 そんなことをすれば、 ー即! 隣の帝国大学付属病院行き間違いなし!! なのだ。 だから1学年生は、 4月から晴れて「天皇」になった 最上級生3学年生(サマンニョンセン)の「奴隷」であり、 同じく「平民」になった 一つ上のソンベ=2学年生(イイハンニョンセン)の 「兵隊」とみなされていた。 「奴隷」と「兵隊」が平等なわけがない。 だから新入生は、 すれ違う約500名程度の男子のソンベに対し、 「アンシカッ!」 「アンシカッ!」 「アンシカッ!」 と早口で絶叫するのだった。 あの蝉のような挨拶をしないと 他校出身のソンベ達が、 「あの1年、生意気だ! いったいどこの出身(チュルシン)だ?」 とそいつの出身校を、 米帝の傀儡・南朝鮮の悪辣な手先=KCIAのように 執拗に探り出すのだ。 だいたい遅くても2日、 早ければ2時間後には、 そいつのチュルシンがバレる。 すると、他校出身のソンベは、 そいつと同じ朝鮮中学出身の同窓生に、 「ふん! お前のフベは礼儀がなってない!! サンノムだな。 ふん!」 と蔑んだ顔をし、 鼻の穴をピクピクさせながら バカにするのだった。 「まぁ、許してやってくれ、1年なんだから」 とフベをかばうソンベを探すことは、 ちょうど魚屋に買い物に行って キムチのもとになる白菜を 探すのと同じくらい難しいことだった。 なにせ朝鮮儒教の長幼の序は、 ー体面重視! のワンテンセット。 しかも伝統的に連座制の影響で、 ー個人の体面は団体の体面、団体の体面は個人の体面 なのだ。 おまけにガキのくせに「正論」には、弱いときている。 他校出身の同窓生に、 「お前のフベはなってない!」 と言われたのだから、 「お前はダメな奴だ! ヤンバンの末裔なんかじゃない!! お前の出身中学全員がそうなんじゃないか?」 と言われているのと同じ事で、 自分および母校出身者全員の体面を汚され、 恥をかかされたことになるのだ。 だから、言われたソンベは怒りまくる。 「天皇」の3学年生なら、 同じ出身の「平民」=2学年生 のリーダーとサブ・リーダーを呼び出して 大魔神のような凄まじい憤怒の顔つきになり、 ビシッ! バシッ! ビシバシッ!! と顔面に数発パンチやビンタをいれる。 それが終わると、 正義の闘いを終えた大魔神が、 もとのやさしい顔つきに戻るのと同様、 慈愛に満ちた表情に変身し、 「ニ〜(お前の)が、だらしないから、こういうことになる。 そんなことで、いったいどうするんだ」 と「正論」で諭すのだ。 こういう場合は、 軽くヤキをくらった2学年生も、 「イェ〜(はい) ミアナンミダ(すみませんでした)、 ヒョンニム(兄さん)!」 と謝罪するのだ。 まじめなリーダーだと、 2年にもなって1年のせいでヤキをいれられたのに、 不思議なことに私怨をもつことは殆ど無い。 それどころか神妙な顔つきになり、 「1年の教育がなってなかったチョ(私)の責任だ。 あのソンベには、本当に申し訳ないことをしてしまった」 と心の底から反省するのだ。 まぁ、こういう私心の無いサナイが、 朝高魂の正統な継承者となり、 教員やソンベ達から一目おかれて尊重され、 フベからも慕われて頼りにされる。 3学年生になる頃には、 出身母校だけではなく朝高全体のリーダーになるようだ。 (2の1の2) 恐怖なのは同じ母校出身の1学年生。 「大変だ! 2年の***ヒョンニムが、 3年の***ヒョンニムからヤキをくらった!」 という未確認情報が、 朝鮮人の好きな表現を用いるのなら ー燎原の火のごとく バッと広まる。 この未確認情報は、数時間後、 ー真実! として1年に重くのしかかる。 真実の伝達者は、 どこの学年にもいる ーパシリ だった。 オレの母校・大田朝鮮人中学の一つ上に 朴珍賢(パク・チンヒョン)というチャサイ ソンベがいた。 オレは、このソンベが、 米帝の傀儡政権・南朝鮮の 民族反逆者兼売国奴=朴チョンヒよりも嫌いで、 ひそかに、 「パシリ・ソンベ」 と軽蔑していた。 こいつが、 チビでブ男なのは、 先祖からの遺伝なのだからやむを得ないにしても 性格が大嫌いだった。 教員やソンベにはペっコペコ、 逆にフベには、 秦の始皇帝のように尊大な奴だった。 ケンカも弱いくせに、 やたらとイキがる奴だった。 しかも卑怯ときている。 士官との乱闘で、 負けそうになると、 仲間を見捨てて真っ先に逃げるのもこいつだった。 おまけに目立ちたがり屋で、 ありもしない武勇伝を 梶原一騎の原作マンガのように デッチあげるのが キムチよりも大好きだった。 金にも汚い嘘つきな狼少年にもうんざりだった。 力のある教員やソンベには、 太鼓持ちに徹して可愛がられようと献身的になるので いつも食事や酒をおごってもらう。 逆に、弱い立場のフベにはたかり、 金をまきあげるからだ。 同窓生との飲み会でも、 朝鮮人が酔っぱらうと、 「チョッパリじゃねえんだからよ」 と割り勘を嫌って奢る習性を奇貨として 「次はオレがかならず奢るから」 と毎回約束するのだが、 「朴珍賢の奴は、 ただの一度も約束を守ったことがない」 と吐き捨てるように非難されていた。 だから、皆に嫌われていたのだ。 こういう奴は、だいたいパシリになるしかない。 この軽蔑すべきパシリ・ソンベが、 オレを呼び出して、えらそうに言った。 「おい! ミョンジョン! 今日の5時、1年全員、大崎駅で待ってろ!」 「イぇ(何、イキがってるんだよ! このチビデブ!!)」 朝高生は、 どこの中学出身者も、 先輩達から脈々と受け継がれてきた ー1年にヤキをいれる伝統的な場所 を持っていた。 たとえばだ。 遠方から片道平均4時間もかけて集団登校している 千葉朝鮮人中学出身の場合、 「ジ・ゴ・ク」 と恐れていた電車があった。 ソンベが、 「1年! チ、ゴ、ロクに乗るぞ!」 と言えば、 表の意味は、 ー東京駅始発 総武線快速 午後7時56分千葉行き に乗るということだが、 裏の意味は、 「千葉出身の1年は、全員、 午後7時30分迄に、 東京駅総武線快速電車ホームの最後尾に 1列に並んで2年を待ってろ!」 ということだった。 だから、 「今日は、ヤキの日だぞ。覚悟しろよ!」 と露骨に言わなくても、 「***に、何時に、1年全員待ってろ!」 と言えば、 朝高の1年は、 「あ〜ぁ、ヤラれるのか・・・」 とため息をつきながらも、 刻々と迫り来る 我が身のシンセタリョンに抗うことはしなかった。 なにせ、朝高の教員達も、 ーヤキを公認している! ので、 誰も助けてはくれなかったからだ。 オレ達朝高生を 普段から敵視している警察に 助けを求めるなんてのは論外もはなはだしい。 朝高生だったら、 そんな恥知らずなことはできないはずだ。 プライドがあるからね。 オレ達、朝高生には。 結局、朝高1学年年は、 少しでもケガを予防するために 両手で顔面マッサージを入念におこないながら、 潔く覚悟を決めるのだった。 インテリの李先輩が言うには、 「これはな明宗、 朝鮮儒教の伝統であると同時に、 日本帝国主義者による軍国主義教育の名残りなんだよ。 軍隊は、上官が兵隊を理不尽に殴りつけるだろ。 これは、上官の命令に対する絶対服従の徹底と 戦闘の際の死の恐怖を日常的な暴力の恐怖で緩和する狙いがあるんだよ。 朝鮮人連盟の下部教育機関である朝高は、 建前では、日帝を否定しながらも、 現実の教育現場では、日帝の教育手法を「追認」することで それを「肯定」しているとも言えるんだよ。 帝国主義か、共産主義かの違いこそあれ、 ー国家や組織に絶対服従! を求めるのは、 帝国主義も共産主義も本質的には同じだから、利用しない手はないのさ。 とくに、朝高は、 日帝時代の思春期に軍国教育を叩き込まれた「一世」が創った学校だろ。 だから、自然と自分の若い頃に受けた教育を再生産しているのだと思う」 オレには、難しすぎてよくわからなかった。 (2の1の3) 1学年生にとって、 とくに危険なのが、月曜日だ。 朝高生の日曜日は、 ー立てばパチンコ! 座ればマージャン!! 歩く姿は馬券買い!!! と比喩されていたが、 大部分の朝高生は、 日曜日のギャンブルで負けていた。 だから月曜日は、機嫌が悪いのだった。 きっと、ガキの頃、 親の「一世」に連れていかれた ムジンの影響だろう。 ギラギラした鋭いヌンチで、 花札賭博に燃えていた「一世」の恐るべき姿は、 誰でも目撃しているはずで、 けっして忘れることのできない 迫力と恐怖に満ちあふれた ーリアル・K(コリアン)・ホラー だったからだ。 負けが込んだ「一世」が、 「チョ〜タんチャ〜ないヨ〜!」 と怪しい日本語でわめき散らして暴れだし、 止めに入った「一世」も、 数秒でキレてしまい 「イ〜、ケーセッキ!」 とか、 「サンノム!」 と罵りながら乱闘を始めるのを 体験的に知っているのさ。 オレ達、「二世」は。 そして悲しいことに、 オレ達「二世」自身が、 「一世」と同じように、 博打が好きになってしまうのだった。 インテリの李先輩が言うには、 「明宗、自分の民族に偏見を持ってはいけないよ。 博打が好きなのは、民族性なんかじゃないんだよ。 どこの国でも、ひどい差別をされている民族は、 自分や家族の将来にまったく希望が持てないので、 嫌なことを忘れるために、 一時的な快楽を求めて、 博打や酒、セックスにのめり込んでゆくんだよ。 オレ達の代で、そういう悪い癖を克服しないといけないんだよ」 と諭してくれたことがあったっけ。 まぁ、そういうわけで、 月曜日は気を付けなければいけなかった。 とくに4月4日の入学式の日は、 月曜日であると同時に、 ー賭博三昧の春休み明け! だったから要注意だったのだ。 1年に何の落ち度がなかったとしても、 イチャモンをつけてくるソンベがいたからさ。 けれども、ろくでもないソンベも、 さすがに 「博打で負けたから腹いせに 1年にヤキを入れよう!」 とは言えない。 潜在意識の中ではそう思っていたとしても、 体面重視の朝高では、 口が裂けても言ってはいけないタブーだった。 ちょうど政治屋が、 ー金が欲しい! のに、 それを露骨に言うと 同僚議員の信を失うのと似ていなくもない。 だからこいつらは、 ーお国のため! と自分たちだけで盛り上がるための 大義名分を忘れないのだ。 さすがに朝高生は、 ー祖国・朝鮮のため1年にヤキを入れよう! とは言わない。 昔の朝高生ならこう言うはずだ。 「奴隷」から「平民」に出世した 2学年生の大部分が持ったであろう ー自分の階級的上昇を確認したい! という潜在意識に訴えるのだ。 「なぁ、みんな! 何事もはじめが肝心だ! ここは、 ー朝中ではなく、朝高だ! ということを 1年のために、身体でおぼえさせてあげようじゃないか! 4月29日の士官との決戦が迫ってるんだから。 1年を強くするために、ヤキを入れるべきなんじゃないか!!」 と、わけのわからない大義名分を言い始めるのだ。 仮に、2学年生が、 たまたまそう言わなくても、 同じく「平民」から「天皇」に出世した3学年生が、 ー自分の階級的最上昇を確認! すべく2学年生を諭すのだ。 「お前ら! 1年にヤキ入れたのか! ヤキを入れないと強くならないぞ!! 1年は。 今年の天皇の生まれた日は、 士官の奴らが大攻勢をしかけてくるらしい。 このままじゃ、士官に勝てないぞ!!」 と、わけのわからない「正論」で諭すのだった。 こういう情報は、 朝鮮中学時代から知れ渡っていた。 だから男子1学年生は、 1秒たりとも油断できなかったのだ。 国鉄・九条駅から、 ソンベを見かけなくなる朝高の自分の教室まで 「アンシカッ!」 「アンシカッ!」 「アンシカッ!」 と、休む間もなく首を上下に動かして絶叫したわけだ。 オレ達は、 ー危ない奴や怪しい奴 のことを比喩的に ーアヤ と呼んでいた。 挨拶の際、 首を激しく動かすことで、 ーアヤのソンベ と視線を合わせないようにしていたのだ。 どうしてかと言えば、 「あの野郎! フベのくせにヌンチしやがった!」 というイチャモンをつけられるからだ。 これが、入学式だけではなく、 朝高の日常生活で繰り広げられる ー朝高の伝統的セレモニー なのだ。 オレも1年間、必死でがんばったさ。 おかげで、声がかなり太くなり、男らしくなったよ。 そうそう、ほぼ毎日、 1km近くも首を上下に動かしていたから 首もかなり鍛えられたなぁ。 首が太くなったおかげで、 朝高の伝統的な必殺ケンカ技の ーチョーパン(チョーセン人パンチの略。頭突きの意) の威力が増したのは事実だ。 |
(2の2) ケンカに強くなるための ー明日のためのその2! ケンカは、 「体力よりも気力、なかんずく根性で決まる!」 ことを努々忘れてはならない。 だから、 朝高の大丈夫たる者は、 「ケンカ一筋! 硬派でなければならない!!」 のだ。 とくに重要なのは、 「チャージ(男性器)は立っても、ポージ(女性器)は断つ!」 ことだった。 確かにオレ達は、 「この顔で高校生?」 と疑いたくなるようなオッサン・ブラザーズで、 身体は急激に大人の男になりつつあるが、 頭の中はやはり未熟だった。 当然、「息子」も未熟そのものだったが、 「チャリョッ(起立)!」 と命令されなくても、 四六時中、 怒りに満ちたように絶大なる元気があった。 まさに、 ー青いキュウリ そのもので、 やたらと固く、 しなびるのにかなり時間がかかったのだ。 そんなオレ達が、 男とは違う女の柔らかい身体を知り、 セックスの快感をおぼえると、 ゴツゴツした男同士で殴り合うことが、 バカバカしくなり、 自然と闘争本能が衰えてしまう。 ケンカに強くなることよりも、 女にもてることばかり考えて、 女の視線ばかり気にしているような 「恥ずべきチャサイ軟派野郎! では、毎年4月の風物詩となりつつある ー天長節・新宿決戦! に臨むことはできない。 なぜならば、もてない男の集団だからこそ、 『アサヒ芸能』をバイブルのように片時も離さず ケンカに異常なエネルギーを発揮する強敵・士官大には、 到底勝つことはできないからだ。 (2の2の1) 朝鮮儒教の影響が強かった朝高は、 ー男女の別(夫婦の別) にも、かなりうるさかった。 (2の2の1のイ) 朝高は、 男女共学なのに、 男と女は同じ教室どころか、 同じ階で学ぶことすら許されなかった。 思春期を迎え、 身体が大人に成長しつつある男女は、 朝高を創造した「一世」の倫理観からすれば、 学校といえども、 席を同じくしてはいけなかったのだ。 インテリの李先輩が言うには、 「朝鮮儒教の影響だけじゃないな。 朝鮮人は伝統的に男尊女卑だから、 優秀な男の朝鮮人革命家を育てるために 男女を別々にしているんだよ。 たとえばだ。 男女が同じ教室で学ぶと、 男が女の視線ばかり気にして 外見だけを大切にするようになるだろう。 髪型だとか、服だとか。 つまり大丈夫としての中身がないにもかかわらず、 外見だけを気にする薄っぺらい奴が増えるということだな。 逆に、女の場合は、 女が男の視線を気にして、 身だしなみだとか、 礼儀だとか、 コンブ(工夫。勉強)だとかで、 がんばるそうだ。 日本風に言えば、大和撫子になるってことだな。 ところが男女が別々の場合、 女は男の視線がないので、だらしなくなるようだ。 言葉も乱暴になるし、 身だしなみもひどくなるらしい。 たとえばだ。 これは彼女から聞いた話だけど、 夏の暑い日に、 机の下のチマチョゴリを巻き上げて ヨダレを垂らしながら寝るとか、 授業中に鼻くそをほじくって丸めるだとか、 下着だけで教室内を走り回るだとか、 男が隣にいれば絶対にやらないことを 女だけだと平気でやるらしい。 逆に、男だけの場合は、 周りの視線が男だけしかないのだから、 男だけの社会で上に立てるように、 外見よりも中身を重視するようになる。 朝高の伝統では、 大丈夫としての価値は、 コンブではなく、 ケンカの強さか、 チュック(蹴球。サッカー)のうまさで決まるだろう。 だからケンカの強さで同級生と競い合うのも 大変、意味があることなんだ。 つまりケンカだけでも、 強くて根性のある朝鮮青年を育てるというのは、 朝鮮革命の後継者育成上、大切なことなんだ。 第一、革命家に学歴はいらないだろう。 現に、朝鮮人連盟が神様のように崇めている金日成はもちろん、 彼の上司だったソ連のスターリンだって 大学なんて出ていないのだから。 革命家にとって大事なのは、 祖国や民族、組織や指導者に対する絶対的な忠誠心と、 革命に対する鉄の意志、 そして自分自身の人生を革命に捧げるフィセンチョンシン(犠牲精神)、 生命をも惜しまない勇敢な行動力だからな。 そういうものは、 大丈夫としてのガッチリした基礎ができてから 共産主義・社会主義思想に洗脳しても遅くはないからね」 李先輩の説明は、 オレには、相変わらず難しくてよくわからなかった。 (2の2の1のロ) 1年前、 入学式を終えたオレ達、男子1学年生は、 やたらと広い運動場の前に、 ー難攻不落の要塞 のようにどっしりそびえ立つ 3号館の5階に案内された。 ちなみに、同じ建物の3階には、 油断できない2年のソンベ達が、 オレ達1年の隙を窺っている。 5階には六つの教室があり、 その中の一つは教員室に、 それ以外は、 オレ達のクラス=班(パンもしくはバン) の教室として使用された。 オレ達は、 男だけで一班に40〜45名づつ、 1班(イルバン)から5班(オーバン)に振り分けられた。 女の場合、 同じ3号館の4階に、 女だけで一班に約50名づつ、 6班(ユッバン)から10班(シプパン)に振り分けられた。 それ以外にも、 3号館の2階には、 比較的成績の良い女だけを集めた 11班(シビルバン)という「秀才クラス」がおかれた。 また、同じ階には、 朝高卒業後、 ー優先的に朝鮮人銀行に就職できる! ことがウリの 商業班(サンオックパン)という 女だけの班が2班あった。 他にも3号館には、 日本学校から転校してきたけど 朝鮮語がわからないので、 朝鮮語がわかる迄の間、 臨時的に編成される編入班(ピョニッパン)が1つあったが、 この班も女の方が多かった。 つまり朝高は、男より女が多いのだ。 これは毎年のことらしい。 だから朝高では、 真っ赤かぁ〜に燃えている 朝鮮人連盟の活動家や教員、 学生自治組織の朝高委員会(生徒会)は、 腕に覚えのある海千山千の男子だけではなく 絶対多数派の女子を束ねることが、 とても重要だったのだ。 (2の2の2) 朝高は、 ーどうして女子が多いのか? って。 先輩の話だと、どうも朝鮮儒教の影響らしい。 これには説明がいる。 (2の2の2のイ) 前にも話したが、 朝鮮人の大部分は、 「自分の先祖は、絶対! ヤンバンだ!!」 と自慢する。 ヤンバンというのは、 本来、儒教の膨大な教典を 暗記しなければ合格することができない 高級官吏登用試験の科挙(カゴ)に合格した 高級官吏のことだが、 いつしか朝鮮貴族の代名詞となってしまった。 インテリの李先輩が言うには、 「昔の朝鮮は、 ーヤンバンにあらずんば、人にあらず、 という状況だった。 ヤンバンは、 免税や兵役免除等 ありとあらゆる特権を付与された有閑支配階級だった。 けれども、36年間続いた日帝の植民地支配や 北朝鮮の共産化、 そして3年間続いた朝鮮戦争等で、 伝統的な朝鮮の身分制が、法制度上は崩壊したんだ。 封建的な身分が無くなることは、 本来、自由や民主主義を尊ぶ現代社会にとって 大変、良いことなのに、 朝鮮人は伝統を重んじる民族だし、 血統的自負を子孫に誇らしげに叩き込む習慣があるから、 法制度上、無くなった身分を 一族や家族等による家庭内子弟教育で温存し、 意識の中に根強く残してしまったんだ。 だから朝鮮人の大部分は、 今でも、 ー自分の先祖はヤンバンだった! と自慢するのさ」 この李先輩の説明は、 めずらしくオレにも体験的によく理解できた。 ガキの頃、 「一世」のおじさんやおばさん達は、 120%の確率で、 「わタ〜し〜の先ソは、ヤンパン、タっタ!」 と怪しい日本語で誇っていたし、 真っ赤っか〜の朝鮮人連盟の活動家や朝鮮学校の教員、 先輩も、同輩も、後輩も、 そして言葉を覚えて間もないはずの2歳児のガキも、 みな異口同音に 「先祖はヤンバンだった!」 と誇らしげに胸を張って叫んでたしな。 けれども、朝鮮人のすべてが、 「昔は貴族だった!」 と主張するのは絶対おかしい。 そんなインチキは、 インテリを自負するオレにはわかっていた。 普通、どこの国でも、 貴族と呼ばれる有閑支配階級は、 人口の1割にも満たなかったはずだ。 それに、在日朝鮮人の先祖が、 すべて有閑階級だというのなら、 いったい誰が、 田畑を耕して農作物を育て 食べ物を作ったというんだ? 日本だって支配階級の天皇や公家、 武士の子孫は、 全人口の1割未満だったと聞いている。 なのに、中年以上の在日朝鮮人は、 ほとんどすべてが、 ヤンバンの末裔だと自慢する。 「今は焼き肉屋のオヤジだが、 世が世なら由緒正しい朝鮮貴族だった。 だから、朝鮮にいれば、 きっと国会議員ぐらいにはなっていたはずだ!」 てな感じで、 自分の血統に揺るぎない矜持(クンジ)と 自負心(チャブシン)を持っていたのだ。 インテリの李先輩も、 「本当に朝鮮人自身の自己矛盾だな。 朝鮮人連盟の幹部も例外ではないし。 彼らは、貧富の差のない 平等な社会主義・共産主義社会を目指しているはずなのに、 それを阻害する封建的身分制の遺物であり、 革命の敵であるはずのヤンバンを、 朝から本ばかり読んで、 昼寝をし、 夜は酒をかっくらって天下国家を論じ、 多数の妾をかこう 封建制の寄生虫のような連中を 心の中では賞賛し、 その血筋を自慢する幹部が多いしな」 と吐き捨てるように言っていた。 ヤンバンの末裔としての証拠が、 族譜(チョッポ) という家系図だった。 外国人登録書を持っている朝鮮人なら、 焼き肉屋でも、 パチンコ屋でも、 高利貸しでも、 悪徳不動産屋でも、 真っ赤っかぁ〜に燃えているペルゲンイでも、 皆、立派な族譜を家宝のように大事にしてたし、 それこそが、 「朝鮮貴族階級の末裔としての 正しい血筋を証明する動かぬ証拠!」 と頼みもしないのに 胸をはっていばる人が多かった。 朝鮮人の家ならどこでも、 男の子が言葉を覚える頃、 先祖伝来の族譜を目の前におき ハルベかアボジ、 時にはクナボジ(伯父)が、 族譜の最後の頁を開いて指を指しながら、 「ほらみなさい。 これがニ(お前)だ。 こんな立派な本にニの名が出てるだろう」 と前置きし、 「何代前の先祖に、 今で言えば大臣を務めた***先生という方がいらっしゃった。 その方がわが一族、そう、つまりお前の先祖だ。 いいか、良く聞きなさい。 ニにも、その立派な先祖の優秀な血が流れているんだぞ。 だからニも、 がんばれば、かならずえらくなれる!」 と家庭内プロパガンダをするのだった。 ところが、族譜を代々継承できるのは、 男子に限られていた。 だから、ヤンバンの末裔を自認する朝鮮人なら 誰でも例外なく男の子を欲しがったのだ。 男の子ができないと、 妻の責任となり、 姑から白い目で見られて、 肩身の狭い思いをしたらしい。 だから朝鮮人の夫婦は、 ー立派な先祖の徳に報いる使命観! にも似た覚悟で、 男子が生まれてくるまで、日夜励むことになる。 朝鮮の農村生まれの「一世」達も例外ではなかった。 「一世」は、たとえ貧しくとも、 族譜を継承できる直系の男子ができるまでは、 夜な夜な一生懸命、 ハナッ! トウル!! ハナッ! トウル!! と腰のピストン運動に励んだらしい。 だから在日朝鮮人社会は、 否が応でも女子が増えることになるわけだ。 朝高に女子生徒が多いのもうなずけるだろう。 (2の2の2のロ) オレの同窓生に、 ー年子の女9人姉妹! の末っ子がいた。 姓は、馬(マー) 名は、牛子(ソジャ)だった。 このいかにも、 馬力のありそうな名前を 女の赤ん坊につけたのは、 彼女のアボジ=馬龍出(マー・リョンチュル)だった。 奥さんを説得しながら苦節10年。 「今度こそ男子誕生!」 を切実に期待していたのだが、 9年連続して生まれてきた赤ん坊の股間には、 プアル(男性器を意味)がついていなかった。 だから打ち止めになるであろう末っ子に いわばヤケクソで、 この名をつけたらしい。 馬龍出は、 オレの叔父と同じ バカ田大学第二文学部を卒業したインテリで、 日本語にも堪能、ドイツ語もできたらしい。 大学生の時、 ドイツ語で書かれている K・マルクス『資本論』原著を読破し、 共産主義・社会主義に共鳴・傾倒したペルゲンイで、 「朝鮮革命のため、この身を捧げる!」 ことを決意した生粋の朝鮮人共産主義者でもあり、 朝鮮人連盟上野支部の現役支部長でもある。 つまり365日間、 真っ赤か〜ぁに燃えている ー朝鮮人インテリ・ナルシスト・ペルゲンイ だったのだ。 だが、こういう人でも、 李朝500年の間にかけて先祖代々、 子々孫々、脈々と純粋培養されてきた ーヤンバン末裔神話 の信奉者だった。 彼は自己が信じて止まない 「名門ヤンバン・馬家一門!」 の宗家の長男であり、 「先祖代々受け継がれてきた族譜を 子孫に伝えなければならない!」 という使命感を持つ男だった。 だから、直系の男子がいないことを大いに悩んでいた。 「このままでは族譜が絶えてしまう。 自分の代で絶やしては、先祖に申し訳ない・・・」 と日夜、自責の念にかられていたらしい。 だから、どうしても、 男の子がほしくてほしくてたまらなかったそうだ。 けれども、 さすがに10人目は、 インテリとしての教養と 共産主義者としての節度が邪魔したのか 奥さんにも頼みにくかったらしい。 そんなある日の晩、 朝鮮人連盟上野支部の会合を終えた後の飲み会で、 親しい後輩が、 「馬ソンベ! やりましたよ! やっと、やっと男の子を授かりました。 いや〜、4人目も女だったら、 どうしよ〜かと、 まったく生きた心地がしなかったんですが、 赤ん坊のプアルをみて泣けました!」 「そう、おめでとう(うらやましい・・・・・)」 この日、 彼は、普段、あまり飲まない酒を もくもくと、 しかも大量に 自分の胃袋に流し込んだらしい。 天にも登るような後輩の喜びに触発された馬龍出。 浅草の自宅に帰宅後、 酔いもまわってか、 インテリらしからぬ、 そして共産主義者らしからぬ説得を 奥さんに試みたらしい。 「なぁ、チャネ〜(君) わが家も子供だけで野球ができるようになった。 これも、みなチャネ〜のお陰だ。 感謝しているよ。 しかし、野球は、 アメリカ帝国主義者どもの国技だからいけない。 やっぱり朝鮮人は、 11人でやるチュック(蹴球。サッカー)じゃなけりゃダメだ! なっ、そうだろ! チャネ〜!!」 という訳の分からないことを言いはって、 夜陰に乗じて奥さんの上にまたがり、 10人目に挑戦しようとしたらしい。 しかし、奥さんも「一世」だけのことはある。 「チョ〜タんチャないよ〜! もう、子宮がもタない!! コのパカタれっ!!!」 と大暴れして拒絶した。 普段、 ー朝鮮人インテリ・ナルシスト・ペルゲンイ は、日本政府、とくに朝鮮人連盟を弾圧しに来る警察に対し 「暴力反対! 人権を尊重せよ!!」 を声高らかに唱えているため、 無教養の「一世」とは異なり、 女房の性的交渉拒絶を、 暴力的に説き伏せて、 自分の欲望を満たすことは、 たとえ酔っぱらっていたとしても 到底できなかった。 だから、馬龍出は、 ハッ! と我に返り、 ガクッ とうなだれて、 「みっ、ミアナダ(すまない)・・・」 と謝り、 顔もシュン、 背筋もシュン、 チャージも、もちろん シュンしゅん となる。 この哀れな旦那の姿に、 奥さんも感情が揺らぎ、 (チョっト、いいすキタカしら・・・) と、やや反省したらしい。 なにせ、他の無教養で暴力的な「一世」とは違う 馬龍出のヤンバン的=紳士的な心性を見込んで 親が勧めた見合い結婚をしたのだから、 (カわいそうなコとしタわ・・・) と憐憫の情がわくのも無理はない。 それに、もともとセックスも嫌いじゃないから、 次のようにやさしく言った。 「ねぇ、タンシン(あなた) チョも少し言い過キタわ、コめんなさい ト〜しテも、タンシンのそれ(チャージ)がおさまらないなら、 しかタないわ・・・」 「えっ?! いいのかい! チャネ〜!!」」 「最コ迄、聞いテチョータい。 チョ〜件カあるの。 朝鮮人のインテリは、もらすから」 奥さんは、すばやくタンスに手を伸ばし、 かねてより隠しておいた コンドームがぎっしりつまった箱を取り出すと それをそおっ〜と馬龍出の前において言った。 「コれ、つけテ、チョ〜タい」 「・・・」 普通、男は、 こういう状況で、 「ノープロブラム! アイ アム ガッマン!!」 と「息子」がチャリョッすることは、 ピョンヤン原人でない限り、まずない。 その晩は何もなかったらしい。 この日以来、 馬夫婦の夜のいとなみは、 フルコンタクト・ルールから、 ライトコンタクト・ルールへと変わった。 奥さんは、 自分の目の前で馬龍出がコンドームをつけないと、 絶対、パンツを脱がなかったらしい。 結局、数年後、 馬龍出の「息子」から 真っ赤っか〜に燃えている共産主義者らしく 赤玉が、 ポロッ と出たので、 大願成就はならなかったそうだ。 (2の2の3) 朝高は、 ー硬派でなければケンカに強くならない! からといって 女とつきあっては行けないという掟はなかった。 かくいう硬派なオレにも、 韓錦姫(ハン・グミ)という彼女がいた。 しかしだ。 朝高の場合、 まともな大丈夫なら、 男の方から 「女につきあってくれ!」 とは、口がさけても言えなかった。 そんな恥知らずなことは、 オレのような ー硬派! には絶対できない芸当だ。 (2の2の3のイ) 朝高の男女交際は、 各朝鮮中学出身者が、 4ヶ月に一度の割合で主催する パーティー での会話から始まった。 だいたいの朝高生は、 男も女も、 このパーティーを通じて 男女が混在する酒席の場の 怪しくも刺激的な雰囲気をおぼえ、 異性を異性として意識するのだ。 日本で差別され、 苦労している「一世」の親達も、 このパーティーをほぼ黙認していた。 身体が成長し、 大人になりつつあるわが子の 将来の結婚相手を意識しているからだ。 「日本人との結婚なんて、トっ、トんテもない! 朝鮮人同士テ結婚しなけれパならない!!」 という考えが根底にあるからだ。 だから、朝高生の男女交際のきっかけとなるパーティーに わが子が参加するのを見て見ぬふりをした。 とくに女子の親達は、そういう傾向が強かった。 女子の場合、 日本人と結婚すると帰化する可能性が高いからだ。 「昔、ウリナラ(わが国)、ウリマル(朝鮮語)、 先祖代々の姓迄、ウェノムに盗られ、 この上、娘迄、盗られテタまるカ!」 と「一世」は考えていたからだ。 こういいう「一世」達の心情は、 朝高の教職員達も十分に理解できるので、 あからさまに「事件」を起こさないのであれば、 親同様、見て見ぬふりをした。 ちなみに「事件」というのは、 パーティー主宰者の使い込みで、 同級生から集めた会費を 競馬やマージャン等のギャンブルで すってしまうことだった。 さて、朝高のパーティーが、 日本人と違うのは、 「割り勘は絶対にしない!」 ということだ。 招待した他校の朝鮮中学出身者には、 「びた一文払わせない!」 というのが、決まりごとだった。 これはどうやら 体面重視の朝鮮人の伝統的な美風らしく、 とくに「一世」や先輩達から教わったわけではないのだが、 例外なく、 「客人には、無料で楽しんでもらう!」 ことに徹していたのだ。 ちなみに、他校のパーティーに招待され、 それ相応のもてなしをうけた客人達は、 朝鮮人の意地にかけても 答礼のパーティーを近日中に主宰し、 仁義をかえすのだ。 そして3〜4ヶ月後、 ー答礼のパーティーに対する答礼のパーティー が行われる。 これが卒業迄、延々と繰り返すのだ。 そうすることで、 自然と出身校を超えた男女の交際範囲が広がるのだった。 けれどもパーティーに呼ばれるのは、 男の場合、 各校の名物男か、それに準じる男、 もしくは、主宰者であるリーダーに気に入られている男だった。 あまりチャサイのは、 3年間で一度もお呼びがかかることはなかった。 かくいうオレ自身は、 朝高ケンカ・テコンドー部で仲の良かった 千葉朝鮮中学校出身や埼玉朝鮮中学校出身者、 三多摩朝鮮中学校出身者が主催する パーティーによく呼ばれた。 パーティー会場は、 だいたい朝高のOBが経営しているか、 もしくは伝統的に先輩の代から利用している パブか居酒屋で行われた。 OBの店の場合、まちがいなく次のように言った。 「今日はお前達のために、特別に安くしてやるから。 だけど、いいか」 と言いながら、右の人差し指を口の前に立てて、 「シィ〜」 と顔を前後に揺らす。 「イェッ! コマッスンミダ!! ヒョンニム!!!」 と主宰者が礼をのべるわけだが、 こういう場合は、 決まってボラれているようだった。 パーティーには、 一応、皆、背伸びして着飾ってくる。 けれどあまり決まっている奴はいなかった。 男の場合、光っているのは頭だけ。 怪しいライトが頭を照らすと、 ピカ、ピカ、ピカ と蛍のように光るのだ。 女の場合、 男に比べれば服はかなり決まっていた。 きっとヌナ(姉。女の場合、オンニという)から 借りてきているのだろう。 差が出るのは、化粧で、 うまい下手が、 男のオレにでも理解できる程、差がひどかった。 オレ達のパーティーは、 酒があるか無いかの違いだけで、 いたって秩序正しいものだった。 やはりこの場でも、 朝鮮儒教の伝統よろしく 男が片手で持っている杯に、 女が両手でビールをついでくれるのだ。 けれども、オレ達は、 暴走族ように、 パーティーの最中、 男女が抱き合ったり、 キスしたり、 どこぞに消えてセックスするなんて破廉恥なことは、 415%無かった。 もちろん酒乱はいた。 男の場合、暴れるのだが、 皆、ケンカに慣れているので、 「わかった、わかった、 さぁ! 飲め飲め!! それともオレのついだ酒は飲めないって言うのか?」 とけしかける。 「バ〜ロ〜、上等じゃねんか〜、ヒック」 と酒を飲み干したら、 拍手喝采! 「おぉ! チョアヨ(いいぞ)!」 とホメ殺しながら、 これを数回繰り返して、飲みつぶすのだった。 だいたいの奴は、意識不明となり、 ゲロゲロゲー 状態になって服がゲロだらけになる。 ただ、急性アルコール中毒で死んだ奴は、 朝高の歴史上、一人もいないらしい。 女の場合は、 少しの酒で寝てしまう娘が多かった。 こうなると家には帰れなくなるので、 比較的寛容な親を持つ女子の家迄 タクシーで送り、そこに泊まらせる。 そして寛容な親から酔っぱらった女の親宛に 「今日は泊まらせますので、ご安心を云々」 と電話をいれてもらえば完璧だった。 (2の2の3のロ) 韓錦姫とは、 1学年生の夏、 三多摩朝鮮中学校出身のパーティーで出会った。 彼女は、 ー三多摩朝鮮中学校出身・NO1のマドンナ! だったらしく、 中学の頃から、 密かに恋いこがれている奴がかなりいたらしい。 パーティーが始まり、 皆、席に座った。 ちょうど韓錦姫が、 オレの席の右斜め前に座った。 彼女は朝高の女子伝統の ー朝高風ポニーテール がよく似合う瞳がきれいな娘だった。 オレは、初対面で (かわいいなぁ) と観じてしまった。 しかしだ。 もう一人のオレが、 (オレは硬派だ!) と胸を張ってしまい、 (話したい!) と渇望している もう一人のオレと闘っているのだった。 だからオレは、 ただ一人、誰とも話さないで、 少しづつ酒を飲んでいた。 すなおになれない我が身が、 なんとなくだが悲しくなり、 ビールの入ったコップを一気にあけた。 「ゴクッ」 すると、意外なことに、 両手で麒麟ビールをもった韓錦姫が、 ニコッ と微笑みながら、 「どうぞ」 と両手でビールを注いでくれた。 「コマッソ」(ありがとう) 「ハ・ミョンジョンでしょ?」 「えっ?! どうしてオレの名を・・・」 「ケンカ・テコンドーが強いんでしょ?」 「えっ?!(どうしてこの娘はオレのことを知っているのだろう?)」 「ふふっ」 オレと彼女との会話は、これだけだった。 けれども、あの素敵な笑顔が、 やけに印象深くて、目に焼き付いてしまった。 「笑顔が素敵な娘だったなぁ。 それにしても、 どうしてオレのことを知っていたんだろう?」 と気にかかっていた。 (2の2の3のハ) 夏が終わり、秋を迎える頃、 全国の朝鮮人学生は、東京に集う。 全国朝鮮人学生体育大会 で日頃の練習成果を競うためだ。 オレは、朝高ケンカ・テコンドー部員として 初めての 全国朝鮮高校ケンカ・テコンドー大会 を迎えた。 オレは、1学年生だったが、 組手団体戦のレギュラーに選ばれて次鋒となり、 4戦して2勝2引き分けの成績を残した。 しかし、オレの部は、 宿敵・横浜朝鮮高校との決勝戦で、 2勝3引き分けとなり、 代表戦に望みを託したが惜敗してしまい、 準優勝に甘んじなければならなかった。 翌日のオレは、 悔しくて悔しくて、 「クソっ! 何であんなのに負けてしまったんだ! オレはどうしてあんな奴と引き分けてしまったんだ。 オレが勝っていれば優勝したのに! クソッ!」 と頭に血が上っていた。 そんな矢先、電話のベルが鳴った。 ジリリ〜ン、ジリリ〜ン (うるさいな) ところが、誰も電話に出てくれない。 最近のオレは、 ガキの頃とは違って、 電話に真っ先にでることはなくなっていた。 ジリリ〜ン、ジリリ〜ン 「うるさいなぁ ちッ!」 ジリリ〜ン、ジリリ〜ン 「あぁ〜、わかったわかった」 オレは、受話器をとり、不機嫌そうに言った。 「はい」 「ヨボシップシオ(もしもし) ハー・ミョンジョン・トンムの家でしょうか?」 「えっ?!(女の声だ。いったい誰だろう)」 「チョヌン(私は)、梁淑子(リャン・スッチャ)といいます」 「・・・(リャン・スッチャって、いったい誰?)」 「ヨボシップシオ」 「あっ、はい。 オレだけど、トンムは誰?」 「なんだ〜! ハー・ミョンジョンだったの!! それならそうと最初からそう言ってくれればいいのに〜、もう〜」 「・・・(なんだ、この女。なれなれしい)」 「チョは、三多摩の梁淑子よっ! おぼえてないの!! パーティーの時、トンムの目の前に座っていたでしょ!!」 「・・・(そう言われてもなぁ。韓錦姫しか記憶がないし)」 「いやね〜。まっ、いいか」 「でっ、何の用?」 「そうそう、それなのよ、それそれ!」 「・・・(何こいつ一人で盛り上がってるんだ)」 「トンム、彼女いるの?」 「えっ?!」 「ねえ? どうなのよ? つきあってる娘がいるの?」 「・・・」 「ねぇ、どうなのよ!」 「・・・」 「はっきしりしてよ! 男でしょ!! トンムは!!!」 「なに!(それを言っちゃおしまいよ) いねえよ! そんなもん!!」 「あら、良かったわ〜」 「何が?」 「チョの親友がね。 トンムに好意を持ってるのよ。 今、隣にいるから、ちょっと待ってね! すぐかわるから!」 「えっ?(オレに好意?! いったい誰?)」 「クミ、はやく〜」 「でっ、でも〜」 「何してるのよ。 はやくしないと、あの子、気が短そうだから切っちゃうわよ!」 オレは、かすかに ークミ という名を聞いた。 「・・・(まさか)」 女の声が代った。 「よっ、ヨボシップシオ ハー・ミョンジョン・トンムですか?」 「いっ、イェ」 「チョは、韓錦姫です。 おぼえてますか。 パーティーで少しだけ話したのを」 「もっ、もちろん」 「ほんとうに!」 「あぁ」 「嬉しいわ!」 「あの時は、その〜、ビ−ルありがとう」 「いえ、こちらこそ楽しかったわ」 「・・・」 「・・・」 会話が途切れてしまった。 けれども、オレは何ともいいようのない気分になった。 しかも左の胸当たりが、 ドキドキ どきどき DOKIDOKI と激しく音を立てているのがわかった。 受話器を持っている右手も、 汗をかき始めていた。 「クミ! じれったいわね!! ちょっと、かわって!!」 「うっ、うん」 梁淑子が言った。 「あんたね。女に言わせる気?」 「えっ?!」 「えっ、て何よ! 何が、えっ、なのよ!! ほんと、鈍いんだから!」 「・・・(何のことだ?)」 「あ〜あぁ〜、ダメね。トンムは」 「・・・(何が言いたいんだこいつは)」 「試合では、あんなにカッコ良かったのに」 「えっ? 見に来てたの? オレの試合を?!」 「当たり前でしょ! クミと一緒に応援してたわよ。トンムのことをネ!!」 「・・・(そうなのか。韓錦姫がいたのか。オレの応援のために)」 「あ〜あぁ〜、しょうがないわね。 &%$%&’#”!%$#”!!」 梁淑子が何か騒いでいたが、あまり憶えていない。 「・・・(まさかなぁ)」 「$%#”&’%$#$%#!」 「・・・(いや、そんことはないだろう)」 「&&%%$$!#”!!」 「・・・(でも、ひょっとして)」 「ハー・ミョンジョン」 「・・・(いや、まさかなぁ)」 「ちょっと! ハー・ミョンジョン! 聞いてるの!!」 「えっ?! あっ、あぁ」 「来週の月曜日のお昼休みに、 5階の階段迄、来てちょうだい」 「何で?」 「まっ! トンムは本当に鈍いのね!!」 「だから! 何のために!!」 オレは、顔も憶えていない梁淑子という女が、 訳も言わず命令するので腹が立ってしまった。 「スッチャ、かわってほしいの」 「いいわよ。まったくイライラしちゃうわ」 「・・・(ん? 韓錦姫に代るのか)」 オレは、急に冷静になった。 「ハー・ミョンジョン・トンム」 「あっ、はい」 「来週の月曜日、12時30分に、 5階の階段を少しだけ降りてきてくれませんか?」 「いいけど、どうして?」 「トンムに渡したいものがあるからです」 「あぁ、わかった(いったい何をくれるのだろう)」 (2の2の3のニ) 翌日、オレは、 同じケンカ・テコンドー東京城南支部に通う 同窓生の高日春(コー・イルチュン)に相談した。 「三多摩のパーティーで知り合った韓錦姫という女から電話が来て、 ー来週、渡したいものがある、 って言うんだけど、いったい何だろう?」 「へぇ〜! よかったじゃないか!! ミョンジョン!!」 「よかった?! 何が?」 「知らなかったの? 朝高の伝統を」 と少し呆れた顔をしながらも、説明してくれた。 イルチュンによると、 出身別パーティーで出会った男女の交際のきっかけは、 女が手作りのパンソッ(座布団)を 気に入った男にプレゼントすることだった。 つまり朝高では、 女の方から、 「チョは、トンムに好意を持っています」 という恋のシグナルをパンソッに託して渡すらしい。 男が受け取れば、 ー脈あり! ということだ。 けれども、これ以上進展しないこともある。 日本人同様、朝高生にも好き嫌いがあるからだが、 男の方が怒って破談になることもあった。 オレの同窓生に郭慶来(カッ・ギョンレ)という 華奢な身体ではあるが、 なかなかのイケメンがいた。 渾名は、マラカス。 大田朝鮮中学の修学旅行で、 風呂に入った際、 チャージの先っぽにカスがついていたのを ムン・ドマンに発見され、 「ギャハハッ! イノム! マラにカスがついてるぞ!! ギャハハッ! マラカスだ!!!」 とバカにされて以来の渾名だった。 もちろん、ギョンレ本人は、 この渾名を忌み嫌っており、 自分よりもケンカが弱い奴には、 絶対使わせなかった。 ある日の昼休み。 ギョンレの甘いマスクに一目惚れした 金水恵(キム・スヘ)という埼玉朝鮮中学出身の可愛い女が、 紙袋に入ったパンソッをプレゼントした。 ギョンレも、 その娘にまんざらでもなかったらしく、 「コマッタ!(ありがとう)」 と好意に満ちたお礼をしたので、 誰もが、 「美男美女のカップル誕生だなぁ」 と予想した。 ギョンレが、 晴れ晴れとした表情で 1学年1班の教室に戻った。 確かに朝高生は、 ケンカに強くなるため硬派でなければならないのだが、 思春期の男なのだから、 本音では、 「オレももらいたい」 と思っても不思議ではない。 だけど3年間、一度ももらえない奴もおり、 そういう奴は、だいたい 無理して硬派していることもある。 まぁ、そういう事情もあり、 同窓生がパンソッをもらうと注目されるわけだ。 ギャンレの場合もそうだった。 彼は同窓生の熱い視線を観じ、 優越感にも似た勝利の表情をしながら、 紙袋に入ったパンソッを取り出した。 その瞬間、教室中が、 ドどドッ の大爆笑!! 黄色いパンソッには、 カタカナで、デカデカと マラカス と刺繍されていたのだ。 しかもピンク色で。 ギョンレは大激怒! 同窓生は大爆笑!! 「クソッ!」 ギョンレは、あまりにも酷すぎるパンソッを 教室の隅に置いてあったゴミ箱めがけて投げつけた。 けれどパンソッは軽いので、 教室の後ろの入り口の方に飛んでいった。 ギョンレは運が悪かった。 ちょうど教室に入ってきたマラカスの命名者、 あの憎っくきムン・ドマンに当たってしまったのだ。 ギョンレは慌てて 「かっ、かえせ!」 と怒鳴ったので、 ムン・ドマンは、咄嗟にパンソッを掴んで まじまじと見てしまった。 「マ、ラ、カ、ス。ギャハハッ!」 ムン・ドマンは、 こういうことだけは天才的な閃きがある。 誰が説明しなくても、すべての事情を察したらしく、 パンソッを、 ちょうどグリコのおまけのキャラクターのように、 両手で高々とあげながら走り出し、 隣の2班から順に5班まで 「マラカス〜! マンセ〜!!」 とわめき散らしながら大騒ぎしたのだった。 この日は、まったく授業にならなかった。 なにせ1学年制全員が、 一日中、笑い転げてしまい とてもじゃないがまじめな授業なんかに集中できなかったからだ。 先生達も、あまりにも滑稽すぎて大笑い。 怒る気にもなれず、コンブは一切打ち止め。 「人生は、何事も経験だ!」 と冒頭で宣言して、 「朝高生たる者の男女交際はどうあるべきか!」 という恋愛論か、 「朝鮮人の大丈夫たる者の生き様」 とかの人生論か、 ー金日成革命歴史 という科目を担当している真っ赤か〜ぁのペルゲンイ教員の場合、 「朝鮮人革命家の革命的恋愛事情」 とかの革命恋愛論に終始した。 後でマラカスの意味を 生まれて初めて知った金水恵は大泣き! 一緒に手伝った友人達も赤面したらしく、 慰める言葉が一つもみつからなかったらしい。 金水恵は、ギョンレに 詫びの電話を泣きながらいれたらしいのだが、 「いったいあの娘、どういう謝り方をしたのかなぁ、プッ」 と、その話題で1週間持ちきりで、 オレ達の教室から笑いが絶えることはなかった。 文化の違いで破談になる場合もあった。 オレの一つ上に、 張善浩(チャン・ソノ)という硬派なソンベがいた。 ケンカは、バケモノ程には強くはなかったが、 なかなかの美男子で、 礼儀正しく、 誰からも好かれるリーダー格のソンベだった。 ただ、難点が冗談がまったく通じないことだった。 そんな張ソンベに、 一目惚れしたのが、 大阪朝高から転校してきて日も浅かった 申華美(シン・ファミ)という同窓生だった。 なかなかの朝鮮美人で、 転校初日から男の間では噂になっていた。 ある日、申華美は、 張ソンベを 5号館の3階の階段に呼び出したらしい。 張ソンベは、 あまり女に興味がなかったが、 申華美が、 誠心誠意、電話をかけまくったらしいので しぶしぶ顔をだしたらしい。 すると、申華美は、 頬を赤らめながら、 両手で抱きしめていた手提げかばんを 「チャン・ソノ・オッパ、もらってください」 と、震えながら丸ごと渡したらしい。 張ソンベは、 「・・・」 無言で受け取り、 よせばいいのに、その場で中身を見てしまった。 「ムッ!!」 入っていたのは、 真っ赤かぁ〜の腹巻きで、 正面には金ピカの ー張善浩オッパ! と刺繍がいれてあったそうだ。 彼女がいた大阪朝鮮高校では、 男女交際のシグナルはパンソッではなく、 手作りの腹巻きを 女が男にプレゼントするらしい。 硬派の張ソンベ。 もちろん大阪朝高の伝統なんて知らない。 しかも冗談が通じる人でもない。 キッ と申華美を睨み付けると、 無言で手提げ袋毎、 階段の隅においてあったゴミ箱に ぶち込んでしまったらしい。 夜なべして編んだ腹巻きを、 憧れのソンベに、 目の前で、 ヌンチされながら ゴム箱に捨てられた申華美は、 泣き崩れたらしい。 その後、彼女は、 傷心を癒すかのように、激しい恋に落ちたのだが、 ーペラ!事件 によって朝高を去ることになる。 (2の2の3のホ) 朝高で女の思いが通じるのは、 パンソッをもらった男が 女の自宅に電話をかけ、 「パンソッのお礼として、映画でも見に行かないか?」 と初デートに誘う場合だ。 だいたい始めてのデートは、 朝高生があまりタムロしていない 渋谷か有楽町当たりの映画館に出かけるのだが、 映画の内容なんて憶えていないのが普通だ。 それどころか、 映画の題名すら憶えていない奴が多かった。 なぜかというと、 ここまでくれば硬派といえども、 男の方から正式に、 「つきあってくれ!」 と言うのが朝高の決まりなのだが、 なにぶん朝高生は、 女に免疫がないので、 (いったいどういう場所やタイミングで、 告白すればいいんだろう?) とかなり迷うのだった。 かくいうオレ自身、 そのまんま東状態だった。 韓錦姫からパンソッをもらったお礼に やっとの思いで電話をかけ、 「しっ渋谷で、えっ映画でも、みっ見ない」 とドモリの放浪画家・山下清のような喋り方で 誘うのがやっとだった。 「イェ、よろこんで」 「ほっ、本当!」 オレは天にものぼる気分だった。 数日後の日曜日。 渋谷の東Q映画館に入るまではよかったが、 映画はそっちのけで、 「・・・(どういう風に告白すればいいんだろう)」 と迷いに迷った。 ざわザワZAWA 「ん〜・・・」 「ハ・ミョンジョン・トンム」 「ん〜・・・」 「ねぇ、終わったわ」 「ん〜・・・」 彼女が左手でオレの肩を軽く叩いて言った。 「ハ・ミョンジョン・トンム! 映画、終わったわ」 「えっ! あっ、そう」 外に出たオレ達は、あてもなく歩いた。 シャレたチャチョン(喫茶店)に入って恋を語るなんて芸当は、 オレには見当もつかなかったし、 新しいボンタンをあつらえたばかりで、 オケラ状態だったからだ。 だから歩くしかなかった。 オレはあいかわらず 「・・・(士官の奴らとの殴り合いの方が楽だよなぁ)」 と悩み続け、 「はぁ〜」 と小さなため息をつきながら、 曇った空を見上げるのだった。 こういう男の雰囲気は、女にもわかるらしい。 だから、韓錦姫も、 (いつ告白されるのかしら・・・) とドキドキ状態だったと思う。 「き、今日はいい天気だよな(あちゃぁ〜、曇っているのに)」 「そっ、そうね・・・(晴れてはいないけど)」 「韓錦姫は、たっ確か、三多摩出身だよな(まっまた、変なことを)」 「えっ、ええ(おかしなトンム)」 と、たわいもない会話を途切れ途切れ続けながら、 お互いの顔を見るわけでもなく、 かといって手を握るわけでもなく、 ただただ、前を見ながら足を動かしていた。 いつの間にやら、 怪しいネオンが、チラチラと光り始めた。 韓錦姫が、 細い腕に巻いている赤い小さな腕時計を気にし始め、 「ハ・ミョンジョン・トンム。チョ、そろそろ帰らないと」 と言った。 「えっ?! まだ7時前だけど」 「アボジが門限にうるさい人なの」 「門限?」 「ええ、9時迄には絶対家に帰らないといけないの」 「そうか・・・(どうしよう。まだ何も言ってないのに)」 オレは、こういう会話をしながらも、 歩くのを止めなかった。 韓錦姫も、だまってオレの後をついてくる。 「・・・」 「・・・」 数分後、オレ達は山手線沿いの公園にいた。 木が線路と平行に生い茂っており、 ここだけ別世界のように暗かった。 オレは、 (よし! ここだ!!) と意を決し、足を止めて振り返った。 「!」 韓錦姫も、 何事かがおこるであろうことを予感したのか、 無言で止まった。 その日、オレは初めて彼女の顔を正面から見てしまった。 「・・・」 「・・・」 彼女の瞳が、かすかに潤んでいるのがわかった。 しばらく何も言えなかった。 オレは、自分自身が情けなくなった。 「・・・(貴様! 男だろ〜が、はやく告白しろ!!) と、臆しているもう一人のオレに叱責し、 意を決して、 「おっ、オレと」 と口を開いた途端、 「あっあん〜」 とか、 「だっ、ダメよ、ここじゃ」 とか、 「いいわ〜」 とかのかすり泣くような女の歓喜にも似た妖しい声が聞こえた。 「ん?」 オレは、立ち止まってみてはじめて この公園がどういう場所なのかがわかった。 「なっ何、やってるんだこいつら?!」 韓錦姫も左右のベンチで 男と女が抱き合い始めているのがわかったらしく 顔をポッと赤らめ、 無言でうつむいてしまった。 オレ達は明らかに純情だった。 しかもオレは硬派だった。 昔、アボジが青山さんの猥談に憤ったように、 「イ〜、ケーセッキノムドゥル!(この犬畜生どもめ)」 と吐き捨てるように罵った。 頭に血が上ったオレは、 韓錦姫の左手を右手で、 ギュッ とつかみ、 「カジャ!(行こう)」 と力強く言って、その場を去った。 原宿方面にむかって階段をおりて左折、 山手線のガードレールをくぐると、 目の前の信号が点滅したので、 「タルリジャ!(走ろう)」 と二人で走った。 そしてNHK方面には向かわず左折。 信号を渡った意味がなかったが、 そんなことはどうでも良かった。 刺激的な光景を目の当たりにし、 気が動転していたオレ達は、ただひたすら直進した。 やがて渋谷のスクランブル交差点にさしかかった。 国鉄渋谷駅へ押しかける大きな人の波、 これから渋谷センター街へ押しかける波、 そして東Q百貨店や西B百貨店へと向かう左右の小さな波 が交差していた。 その間、オレは韓錦姫の華奢な左手を離さなかった。 オレ達は、大きな人の波にのろうとした。 ちょうど交差点の中央にさしかかると韓錦姫がやさしく言った。 「ハ・ミョンジョン・トンム。手が少し痛いの」 「あっ、ミアナダ(すまない)」 オレは右手を離そうとしたが、 その瞬間、韓錦姫の左手が、 力強くオレの右手を握り替えした。 「ううん、離さなくてもいいの・・・」 「えっ・・・」 オレ達の手は、汗でズブ濡れだった。 オレの右手の手のひらから、 韓錦姫のはげしい胸の鼓動が聞こえてくるようだった。 彼女の左手も、 オレの激しい鼓動を観じてくれたはずだ。 オレ達の時間は、 スクランブル交差点の中央で、 手を握りしめたまま確かに止まった。 (2の2の4) そうそう、誤解しないでくれ。 韓錦姫は、 確かにオレの彼女になった。 オレ達は、つきあってはいるが、 同年代の日本人のように不純異性交遊はまったく無かった。 それがオレ達、朝高生の男女交際ルールだった。 (2の2の4のイ) オレ達の親の世代は、 朝鮮儒教の影響を強く受けているので、 朝高生同士のセックスどころか、 健全な男女交際そのものに対しても、かなりうるさかった。 ピョンヤン原人のような「一世」が、 左右45度につり上がった眉毛と目を光らして監視していたのだ。 とくに女学生の男親ときたら、 自分達の若い頃を棚に上げて、電話すらつないでくれない。 韓錦姫のアボジもそうだった。 「ヨボシップシオ(もしもし) チョ、ハー・ミョンジョン、ラハンミダマン(私、河明宗と申しますが) ハン・グミ・トンム、イッスンミカ?(韓錦姫トンム、いますか」 と丁寧に言っても、怒気を強めたケンカ腰の日本語で、 「ウチは、ヤンバンの家系だから、 おまえのような常奴(サンノム)と違って、 そういうふしだらなつき合いは許していない! わかったら二度と電話するな!!」 と怒鳴れれて、 ガチャッ! と受話器を叩きつけられるのが落ちだった。 携帯電話もメールもない時代。 朝高生同士のカップルは、話すだけでも大変だったのだ。 だから、男の方がかならず女を階段に呼び出し、 「明日の夜の8時ぴったしに電話するから、 おまえがかならず受話器をとれ」 「うん」 と念をおしていたのだ。 朝高は、 ー朝鮮儒教的男女交際モラール について組織ぐるみで迫ってくる。 1学年生の頃、 担任教員の慎東雄先生から、 きつく念を押されたことがある。 「おまえら、チョッパリじゃないのだから トンポ(同胞)のニョジャ(女子)を 遊び半分で抱いちゃいけないぞ。 いいか、責任をとれるかどうかを良く考えてからにしろ。 たとえ、そのニョジャが死ぬほど好きでも、我慢しろ! いいか、チョソンサラム(朝鮮人)なら、 今すぐにでも結婚してもいいと思えないのなら 絶対、抱いてはいけないぞ!」 と耳キムチ状態だった。 韓錦姫が言うには、 「女子はもっと言われているわ。 家ではオモニから、 学校では先生から、 ー結婚するまではスンジョル(純血=処女)を守りなさい! って言われてるの」 朝高生は、 こういう性道徳教育を受けているから、 同胞同士の不純異性交遊は、 どちらかといえば躊躇するようになるのだ。 だから、男がケンカに強くなるため 硬派に徹する環境は整っていたのだ。 (2の2の4のロ) もちろん例外もいた。 オレが1学年生の頃、 ーペラ!事件 が起った。 主役は、 あの ー腹巻き事件 同様、大阪朝高の転校生・申華美だった。 憧れの張ソンベから 悪魔のようなふられ方をした申華美。 失恋の傷心を癒すために、 友人に勧められるまま、 ケンカ柔道部の金示賢(キム・シヒョン)とつきあうことになった。 なんでも金示賢は、 小学校の頃まで、 大阪の大朝鮮人部落・生野にいたらしい。 だから大阪弁ができるし、 大阪朝鮮人の感性が理解できるだ。 金示賢との大阪弁での会話に傷心が癒された申華美。 かなり入れ込んでしまった。 毎日、毎日、 弁当をつくっては持参し、金示賢に食べてもらった。 放課後は、 ケンカ柔道部の部活が終わるまで、 道場の前で待っていた。 雨の日も風の日も、 右翼や士官が攻めてくる日本の祝祭日もだ。 金示賢も、 そういう献身的な彼女に、 ドップリ惚れ込んでしまったらしい。 もともと武道系の部員は、純情そのもので、 もてない奴が球技系の部員と比べると多かった。 だから、 「一日たりとも離れたくない!」 とナベ定状態になり、 何時の間にやら一線を越えてしまったらしい。 こうなると、他人の目なんてまったく気にならない。 朝高の最寄り駅・国鉄九条駅から 二人で手をつないで登校するようになった。 朝高では、かなり目立つ。 「あのフベ、いったいなんなんだ!」 とソンベ達からも睨まれる。 けれども、 ー女と手をつないで歩いているからヤキだ! と言うと、 ー自分がもてないから嫉妬している とフベの女達に思われるので、 体面重視のソンベ達は躊躇してしまう。 ただひたすら金示賢にヤキをいれるための大義名分を いまかいまかと手ぐすねひいて待っていた。 そんなある日。 ケンカ柔道部の練習が自主トレになり、 ただでさえ少ない部員が、 いつもの時間よりも、 かなり早く帰ってしまったらしい。 金示賢も、帰ろうとしたが、 いつも待ってくれている申華美が、 この日に限っていなかったので、 「なにか用事があったんやなぁ〜」 と自主トレを続けたらしい。 ケンカ柔道部の練習は、通常は午後8時迄。 申華美は、担任の先生に、 ー金示賢との交際内容 について、しつこく問いただされていたらしい。 ようやく解放された申華美。 慌てて時計を見ると、 「9時やわぁ」 と驚いたが、 体育館の地下にある柔道部部室から灯りがもれていたので、 「もしかしたら・・・」 と地下のケンカ柔道部道場へ走って行った。 そっ〜と道場を覗くと、 金示賢が、一人モクモクと汗を流していた。 「かっこええわぁ〜」 と惚れ殺し状態。 大きな声で、 「キム! シ〜ヒョン〜! チョアヨ〜(素敵)!」 と黄色い歓声をあげたらしい。 「おお! ファミ!!」 校舎の灯りは一つ一つ消えていった。 もう誰も学生はいない。 シャワーをあびてきた金示賢は、 上半身裸で、 首にタオルを巻いていたらしい。 道場の灯りを消し、 道場内にある部室で着替え始めた。 もちろん部室には申華美も一緒だ。 汗くさい部室。 それだけで妙な気分になる。 首にまいているタオルが落ちたので、 金示賢はひろおうとした。 タオルは、 ちょうど申華美の前に落ちている。 彼は前屈みになった。 「!」 申華美のチョゴリから、 少しだけ彼女のきれいな足がアップで見えてしまった。 「はふっ、ハフッ!」 女にはわからないかも知れないが、 男の性的興奮は、 ささいなことから突発的におこるものだ。 「アンデ! アンデヨ!(だめよ)」 申華美は抗ったらしいが、 やがて、 「あかんって! あかん! あかん!」 と大阪弁に変わったのだが、 とても格闘技をしている男の腕力には勝てなかった。 「はふっ、ハフッ!」 発情したゴリラ状態の金示賢。 申華美は強く抱き寄せられ、 声を押し殺そうとするだけで精一杯だったらしい。 金示賢は、左の腕で彼女を抱きしめながら、 右手で部室の灯りのスイッチを消した。 金示賢も申華美も、 ケンカ柔道部の部室ということで、 いつもよりかなり興奮したらしい。 まさに二人は、 朝高失楽園状態だったに違いない。 しかし、映画同様は、 人生は、トッポッキのように甘くはない 金示賢と申華美の禁断の愛を裁く閻魔大王が、 ケンカ柔道部室に近づいていた。 ー朝高のKGB(カーゲーベ。ソ連秘密警察) と恐れられていた 生活指導部(センファルチドブ)主任の 白無正(ペク・ムジョン)だった。 別名無情(ムジョウ)。 どういう理由であれ、 情をかけることなく 朝高生を滅多打ちするので、 いつしか、ソンベ達からそう呼ばれるようになったのだ。 ムジョウは、 暇に任せて校舎内を 懐中電灯片手に徘徊するのが日課だった。 一説には、 帰宅していない女学生に注意することで 「若い女と話をしたいんじゃないか?」 と密かに疑惑をかけられてもいた。 運命の時は近づいた。 さすがは朝高のKBGだけのことはある。 体育館の地下を徘徊していたムジョウは、 ビビビッ とエモノの気配を感じ取った。 足音を殺しながら耳をすまし、 ケンカ柔道部道場の付近で立ち止まった。 「誰かいるな」 かすかだが、 この頃、ご無沙汰の女の妖しげな声が聞こえてきた。 「イセッキ! ヨンサモタゲッタ!(許せん)」 ムジョウは、 TVドラマ「キーハンター」の千葉真一状態だった。 道場の扉を右足の蹴りで バキッ と蹴り開け、 人の気配のする部室の横扉を ガラがらッ とあけた。 「わっ!」 「キャ〜!」 ムジョウは、 懐中電灯で二人を照らしながら、 憤怒の顔で怒鳴った。 「ペラ!(ぬけ)」 (2の2の4のハ) 翌日、ムジョウは、 二人の両親を朝高の校長室に呼びつけた。 校長室には、 校長とムジョウ、 金示賢と申華美、 そして二人の両親、 それぞれの担任教員および男女学年主任二人が集った。 校長立ち会いの下、 ムジョンが、 東京地検特捜部の検事のように 事実関係をたんたんと説明したそうだ。 いくらムジョウでも、 親の前では流石に、 ーペラ! とまでは言わなかったかも知れないけど。 次いで校長が、 ー朝鮮人の性道徳 を確認し、 親達を諭すように言った。 「ヨロブヌン(みなさんは)立派なヤンバンの末裔でしょうから、 ここは一つ、けじめをつけるべきではないでしょうか?」 親達も朝高に呼び出された事情を ムジョウからの電話と 子供達本人から聞いているので、 終始平身低頭、 何も反論しなかった。 むしろわが子達の非を率直に認め、 親同士が事前に相談し、 腹を決めていたらしい。 不純異性交遊をしかけた金示賢のアボジが、 申華美の両親の意見を代弁して 申し訳なさそうに言った。 「ソンセンニム(先生様)。 このたびは、子供達が、 ふしだらなことをしてしまい 大変、ミアナンミダ(すみません)。 両家の親と本人達と相談し、 朝高は自主的に退学し、二人を結婚させます」 ということで、校史に残る ーペラ!事件 は一件落着した。 二人の親達は、 金を出し合って店舗兼アパートを借り、 二人を同居させ強制的に結婚させてしまった。 数年後、 東京には焼き肉屋が、 1件増えたらしい。 (2の2の4のニ) この事件は、 バッ と朝高全校に広まった。 だけど同級生は、 誰も二人に同情はしなかった。 オレも当然だと思ったね。 「朝高生は、硬派なんだから」 だから、 オレと韓錦姫とは、 まったく健全なおつきあいだった。 二人で映画やプラネタリウムを見にいって 隣の席に座っている韓錦姫の左手を ヒシッ と強く握りしめるのが、やっとだった。 他の奴らは知らないけれど、 キスだけで精一杯だった。 だけど正直言うと、 オレは、韓錦姫を抱きたかった。 (あいつのポージ(女性器)は、 いったいどういう形をしているのだろう?) と夜な夜な想像していたし、 実際に見たかったし、さわってみたかった。 チンゲの生えそろった 思春期真っ盛りの若い男なら、 みんなそう思っているんじゃないかな。 こういう性的な好奇心は、 朝鮮人だとか、 韓国人だとか、 日本人だとかは、ぜんぜん関係ないよな。 ヒゲやチンゲが濃くなり、 大人の男に成長している身体が、 女の身体を欲しがっているのだから。 女の方だって、 身体が急激に大人に変わる時期だから 性欲がないなんてことはないだろうし。 今振り返れば、 正常な性的欲求だったと思う。 だけどオレは我慢した。 「ケンカに強くなるためには、女に溺れちゃダメだ。 硬派であればこそ、士官の奴らに勝つことができる!」 と自分自身に言い聞かせたよ。 ただ、頭の中では欲望を抑えることができたけど、 オレの「息子」は、 毎日、青筋を立てて怒ってたよ。 なだめるのが結構大変でね。 だからな。 あまり大きな声ではいえないから、 ここだけの話にしてくれ。 お口の恋人はロッテだけど、 朝高生の恋人は、 右手だった。 (2の3) ケンカに強くなるための ー明日のためのその3! 朝高生は、 ー日本最強の右翼大学・士官大 に勝つため団結しなければならない。 団結するためには、 朝高生同士で正々堂々、 殴り合いの練習をしておくのが一番だ。 しかし、ソンベ達からのヤキで打たれ強くなり、 硬派をつらぬく朝高生は、 むやみやたらとケンカをしてはいけない。 たとえ殴り合いのケンカであっても大義名分が必要だ。 大義名分とは何か? オレ達は、いずれ統一された朝鮮に帰国する。 だから日本は、仮の宿にすぎないのだが、 日本にいる間は、 絶対、朝鮮人を差別するチョッパリに負けてはいけないのだ。 朝鮮民族の不屈の根性を 本国の同胞にかわって日本人に見せつけなければならないのだ。 弱い者いじめは言語道断! 恐喝なんてのは論外で、朝高生の風上にもおけない。 オレ達は、 「弱気を助け、強気をくじく」 という ーケンカの美意識 をもたなければならないのだ。 だからこそ15〜18歳の高校生でありながら、 18〜29歳の成年男子で、 鍛え抜かれた右翼系大学生相手に命がけで闘うのだ。 考えても見ろ。 オレ達に大義名分がないのなら、 士官大相手に闘う必要はないだろう。 普通、高校生がケンカで 体育会系の大学生に負けたからといって 恥にはならないはずだ。 しかし、オレ達は、士官に立ち向かう。 負けるとわかっていても、 朝鮮人を差別する敵に後ろを見せるわけにはいかないのだ。 朝高入学間もない1学年生の記念すべき ー対士官大デビュー戦 が、4月29日の昭和天皇の生まれた日というわけだ。 なにせこの日は、 「江戸城」で、 「天皇陛下! 万歳!!」 を絶叫し、 朝から興奮している士官大の連中が、 オレ達の通学路にあたる 国鉄の主要ターミナル駅で待ち伏せし 大勢で攻めかかってくるのだから、 対抗上、オレ達も大勢で立ち向かわなくてはならない。 だから1学年生を受け持つ担任は、 4月草々、 力強い声で、 朝高魂を薫陶するのが習わしだった。 「お前達から士官の右翼カンペにケンカを売るな。 しかし、売られたケンカは、かならず買え! ケンカを買ったからには、かならず勝て!! ケンカに負けたら朝高には来るな!!!」 「イェッ!!」 これこそが、 朝高生のケンカの美意識であり、 究極かつ至高の伝統的朝高魂だ! (2の3の1) 究極かつ至高の朝高魂は、 朝鮮高校に入学したからといって 急に身に付くものではない。 何でもそうだと思うが、 ー基礎が大事! なのだ。 朝高魂の基礎は、 朝鮮中学時代に思い焦がれた ー強さへの憧れ だった。 (2の3の1のイ) 朝中生は否が応でも肉体的に鍛えられる。 朝鮮学校では、 些細なことで暴力教師に殴られ、 ウマの合わない同窓生から殴られ殴り返し、 放課後は、定期的にソンベから呼び出されては殴られ、 下校時には、腕に覚えのあるチョッパリから殴られ殴り返し、 帰宅後は、周期的に「一世」の親や兄貴に殴られ、 たまに、酔っぱらった「一世」の親戚や客に殴られることで 顔面に「免疫」ができて打たれ強くなって行くのだが、 それはひとえに、強くなるためだった。 ー何のために強くなるのか? きっと「一世」の大人達は、こう答えるだろう。 「在日朝鮮人は、 しょせん他人の国に住んでいるのだから、 強くないと生きていけないからだ」 しかし、自分一人で働いて生きた経験のないガキに、 ー強くないと生きていけない と言われても、ピンとくるわけがない。 オレに限らず毅然と明確に答えられる朝中生は、 まずいないだろう。 けれどもだ。 ガキにはガキなりの強くなる理由が必要だった。 だからオレ達は、 自分達が強くなるために、 そう、たとえて言うのなら、 灼熱の砂漠で、一服の水を探し求めるかのように、 朝鮮人少年の感性に訴えるヒーローを思い焦がれたのだ。 オレ達は、やはり異質だった。 同世代の日本人学生のように 「あの先輩は1流高校合格!」 とか、 「当然、大学も1流合格!!」 というのは、話題にすらならなかったし、 そういう個人利己主義(ケインリギジュウィ)は、 ちゃんちゃら可笑しくって軽蔑の対象ですらあった。 朝中生のヒーローは、 ー朝高伝説 に登場してくる チョッパリ相手に阿修羅のごとく闘う ー怪物ソンベ達 の武勇伝だった。 「あのソンベは、バケモノのように強い!」 とか、 「あのソンベは、1対10で勝った!!」 とか、 「あのソンベは、ヤクザとタイマンはってぶっ飛ばした!!!」 という 朝高ケンカ立志伝中の「偉人」達の武勇伝だったのだ。 憧れの「偉人」達は、 数ヶ月後、数年後に入学する朝高の大先輩や現役ソンベ達だった。 オレ達は、暴力的環境におかれながらも、 朝高武勇伝説を熱く語り合いながら励まし合ってきた。 「今に見ていろオレだって!」 と自分自身がフベ達から尊敬される ケンカ立志伝中の「偉人」になろうとしたのだ。 朝高入学後、インテリの李先輩が、朝高伝説を否定したことがあった。 「在日朝鮮人は、 ー自分は差別されている という被害者意識が強いと言われている。 まぁ、現実に差別されているのは事実だし、 正常な競争社会におかれていないので、日本社会に対する不満が強い。 だから、誰彼と無く、 ー差別がなければ、自分は国会議員ぐらいにはなっていた! という自己肥大が起き、 言動が大げさになり、1の事実が10になることもある。 そういう在日朝鮮人の大人達の性癖が、 子供達に伝播しているんじゃないかなぁ。 だからなぁ、明宗。 朝高伝説の武勇伝も、どこまで真実だか、わからないよ」 しかし、オレはめずらしく感情的になり、尊敬している李先輩に反論した。 「でも李ヒョンニム、 オレ達は、朝中生の時、朝高伝説のお陰で救われたんですよ! そうでなければ、とっくの昔に朝中を辞めて日本学校に転校し、1流大学を目指す 個人利己主義者(ケインリギジュウィジャ)に転向してました!!」 (2の3の1のロ) 将来、朝高武勇伝説として語り継がれる ーケンカ立志伝中の「偉人」 になるためには、 朝中の頃から 「チョッパリにケンカで負けるな!」 という朝鮮学生根性を身につけなければならなかった。 大都会東京に蠢く 不良高校生、暴走族、ヤクザや右翼のチンピラ等のチョッパリ相手のケンカでは、 中学生といえども、 「負けてはいけない!」 という根性が要求されたのだ。 しかし、さすがに朝中といえども中学生は中学生。 オレ達が、こういうケンカに命をかける朝鮮人学生だとわかっていて あえて挑戦してくるアウトローの強敵達に 連戦連勝というわけにはいかなかった。 体格はもちろん、数が違いすぎる。 けれども、 ーチョッパリとのケンカに負けない秘策 がオレ達にはあった。 それは、どんな目にあわされても、 「死んでも、負けを認めない!」 という決死の覚悟だった。 これは、とくにソンベ達から強要されたわけではない。 朝中に3年通いながら、 それなりに鍛えられた男なら誰でも自然に身に付くケンカ哲学だった。 だからオレ達は、 客観的にはケンカに負けていたとしても、 主観的には、負けたことはなかった。 これこそが、 地元の同世代アウトローに囁かれていた ー朝中不敗神話 の要だった。 極めつけは、 ー玉砕戦法 だった。 これにはわけがある。 憧れの朝高生は、 ーチョッパリの数が圧倒的に多くても逃げてはいけない! と聞かされていた。 勝敗は二の次。 いかなる敵であろうとも、 敵の数が圧倒的に多くとも、 臆さないで戦いを挑む朝鮮人勇気が、 オレ達の社会では尊ばれたのだった。 どういう事情であれ、 敵に背を向けて逃げたらサナイ(大丈夫)とはみなされない。 臆病者は、朝高はもとより 朝中でもまったく価値のないガラクタと同じで、 ソンベ、トンチャン、フベはもちろん、 硬派な教員からも冷めた眼差しで見られて軽蔑され、 相手にされなくなる。 だからオレ達は、 「臆病者のレッテルは貼られるくらいなら、 敵にフクロにされて入院した方がましだ!」 と玉砕を美化した。 これは理屈じゃない。 朝鮮人学生の魂の叫びだ。 有名な登山家が、 ー何故、危険を犯してまで山に登るのか? と聞かれ、 ーそこに山があるからだ! と答えたそうだが、 朝中生や朝高生も何となくだが 登山家の心境に似ているような気がしてならない。 もし日本のマスコミが ー何故、君たちは負けるとわかっていて無謀な闘いを挑むのか? と聞かれれば、 オレ達は、きっとこう答えただろう。 「そこに敵がいるからだ!」 (2の3の1のハ) オレが大田朝鮮中学3学年生になって間もない4月、 目黒朝鮮中学を卒業して朝高1学年生になったばかりの 全龍寿(チョン・リョンス)という先輩が、 士官大の奴らにフクロにされたことがあった。 4月29日の「天皇誕生日」を祝って実行される 士官大の恒例行事 ー朝高狩り の餌食にされたのだ。 「目黒出身の朝高生が、士官にフクロにされた!」 と言う情報は、 ほぼ半日で東京にあるすべての朝鮮中学にバッと知れ渡る。 在日朝鮮人社会は、 朝高生と士官とのケンカに対しては ーただの子供のケンカ とはみなさない。 どういう事情であれ、 「右翼カンペ奴(ノム)! 民族差別ヌン チョルテロ ヨンサモタゲッタ!(民族差別は絶対許さん)」 と敏感に、そして過激に反応するのだ。 だから情報の伝達が速い。 朝鮮学校の教員、ソンベ、トンチャン、フベ、 時には親や兄弟姉妹から知らされるのだ。 朝鮮人連盟のアカ空手の意達人や活動家は、 朝鮮学校の通学路に当たる主要ターミナル駅へ行き、 憤怒の表情で士官大の第二次襲撃に備える。 あたかも戒厳令状態となるのだ。 士官との抗争がおこると、 教員は決まって男子生徒に注意した。 「士官が待ち伏せしているので、気をつけるように。 当分、登下校は絶対一人では帰らないように」 オレの場合、 目黒朝鮮中学の親しいトンチャン、 琴昌守(クム・チャンス)からの電話で知った。 オレは、全龍寿ソンベとは面識がなかった。 けれどもだ。 「日本に住んでいる朝鮮人は、皆、トンポ(同胞)だ! 琴ソンベは、オレのソンベであり、ヒョンニム(兄様)でもある」 と自然に、 ー在日朝鮮人は、皆、親兄弟(チンヒョンジェ) と思える連帯感がオレ達にはあった。 だから、オレは居ても立ってもいられず、 昌守と一緒に、 入院先の広尾病院にすっ飛んでい行ったのだ。 「看護婦さん! 昨日、士官にやられた全龍寿先輩の部屋はどこ?」 「はぁ?」 「えっ? ハー。 ねぇ、あんた何でオレの姓を知ってるの?」 「はぁ?」 という訳のわからない会話のやりとりをしていると、 事情を飲み込めた看護婦は、 「お見舞いは受付を通して下さい!」 ときつく言った。 オレ達は、言われるがままに受付に行き、 見舞いの申請をしたが、 「415号室の玉山さんですか?」 「玉山じゃなくて全なんだけど」 すると昌守が、 「明宗、玉山というのは、全ヒョンニムの通名だからいいんだ」 「あっ、そうなの」 受付係がオレを冷めた目でチラッと見ながら事務的に言った。 「玉山さんは、面会謝絶です。 どなたもお会いになれません」 オレと昌守は、全ソンベが重体であることを知った。 1週間後、オレ達はお見舞いが許された。 415号室は個室だった。 ー朝高生、士官大の集団暴行で重傷! という見出しのマスコミ取材があるらしく、 大部屋では他の患者に迷惑がかかるので ヤマを超えてからも個室をあてがわれたらしい。 地元の朝鮮人連盟が、 入院費の一部を負担していると聞いたこともある。 ベッドの上には、 (小柄なミイラが寝ている) それがオレの偽りのない実感だった。 全ソンベは、 口の周りが切れていて、 とても話せる状態ではなかった。 あの光景を目の当たりにすれば、 朝鮮人学生なら誰でも 士官大に対する敵愾心で煮えたぎるはずだ。 たまたま、病室に居合わせた 目黒朝中出身の朝高1学年生の 金一(キム・イル)ソンベが、 他校出身のオレに、 誇らしげに胸をはって言った。 「龍寿は目黒朝中の英雄だ。 新宿駅で待ち伏せしていた士官10数人に ひるみもせず、 たった1人で突撃し、 こんな小さな体で気絶するまで戦ったんだ」 「クっ、くっ」 ベッドから無念の声が聞こえた。 横たわっている全ソンベの目のあたりの包帯が、 涙で濡れ始めている。 オレは、正直奮えたね。 その時、初めて朝高魂の何たるかを知ったような気がしたから。 だから、自分に言い聞かせたんだ。 「オレも来年、朝高生になったら 全ヒョンイムのように、勇敢に、士官の奴らと戦うぞ!」 ってな。 |
(3) (3ー1) (3ー1ーイ) (3ー1ーロ) |
ケンカに強くなるための ー明日のためのその4! 天長節を目前に控えたオレ達は、 「朝高魂の基礎!」 といえる 「ケンカ必勝3大スローガン!」 で完璧に 「精神武装!」 しなければならない。 朝鮮革命戦士同様、 「タンギョル(団結)!」 「トンジエ(同志愛)!」 「フィセンチョンシン(犠牲精神。自己犠牲の意)!」 だ。 とくに急がなければならなかったのが、 このスローガンで精神武装できていない 新入生1学年生の教育だった。 (3ー1) これにはわけがある。 そもそもケンカは、 とくに、 あたかも戦争の如く、 「朝・日民族間の憎しみが爆発する天長節決戦!」 のような大乱闘は、 1対1のタイマンを想定しているわけではないからだ。 オレが理解している ータイマン というのは、 ー対内的なタイマン と ー対外的なタイマン とにわけられる。 (3ー1ーイ) 対内的なタイマンは、 仲間内での ーケンカの序列! を決めるためにするものだ。 オレ達の場合、 朝鮮小学校4学年生頃からケンカが始まった。 というよりは、 ソンベ(先輩)達からけしかけられるのだ。 仲間内でのケンカを。 Q、どうして4年からか? というと、 ソージョ・ファルトン(部活動)が始まり、 それと同時に、 朝鮮人の伝統たる ー厳格なソヌベカンゲ(先輩後輩関係)の「洗礼」 を受けるからだ。 まぁ、意味もなくソンベから 殴られたり、 蹴られたり、 いびられたり、 周期的にヤキをくらったりするのだ。 これが朝鮮中学2学年生まで5年間も続く。 インテリの李先生に言わせると 「これはなぁ、明宗 日帝の軍国主義教育のなごりなんだよ。 理不尽に殴ったり蹴ったりすることで、 恐怖心をもたせ思考停止状態に追い込みながら 上官に対する絶対服従を徹底的に叩き込むこむのさ。 なんだかんだいっても朝鮮人は、 36年間も明治維新以来の軍国教育を叩き込まれてきたのだから 心と体に染みついているんじゃないかなぁ」 確かにオレ自身も体験上、恐ろしかった。 3学年生までやさしかったソンベ達が、 4学年生になった途端、 大魔神が変身するかのように、 ヌンチして凶暴となり、 襲ってくるのだから、 戸惑いと恐怖からなるストレスは半端じゃなかった。 ガキなりにフラストレーションが一挙に高まる中、 些細なことから同級生同士で 口ケンカが頻繁におこり始める。 そしてそれを見たソンベ、 時には ー自称硬派の先生 が怒る。 「お前ら! オカマか? それでも朝鮮人なのか!! 朝鮮人だったら男らしくタイマンはれ!」 「イェッ〜」 という感じで、 同級生同士のケンカが頻繁におこるわけだ。 この戦いは、 同級生内部の ーケンカの序列! がはっきりするまで終わることはない。 先生達も、 ー朝鮮学校伝統行事 なので、 「入院!」 しない限りは、見て見ぬふりをする。 親も、自分自身の体験上、 「朝鮮人は、他人の国に住んでいるのだから 男の子は、もまれながら鍛えられて強くならないと 日本では生きていけない」 と思っているらしく、 朝鮮人のガキ同士のケンカは黙認した。 Q、警察があるじゃないか?! って。 「イ〜バ〜ボセッキ(この馬鹿野郎)! 朝鮮人の敵である警察に助けを求めたら終わりだ!」 と親や親戚、 先生やソンベ達から プロパガンダされていたので、 そういう恥知らずなことは、ガキでもできなかった。 だからオレ達は、 ガキなりになんとなくだが、 「誰も助けてくれない!」 ことがわかるわけで、 「朝鮮人に生まれた宿命!」 を背負いながら 仲間内でのケンカに、 必死で勝とうと努力するわけだ。 だから、 学歴を得るという個人利己主義の結果、 朝鮮学校を辞めて、 日本学校に転校しない限り、 朝鮮人学生は、仲間内でのケンカでもまれる。 だから否が応でもケンカに強くなる。 なにせ9〜10歳のガキの頃から 約6年間も 「英才ケンカ教育!」 を受けているからね。 オレ達・朝鮮高校生は。 しかしだ。 この殺伐とした伝統も まったく意味がないわけではなかった。 この内部闘争を通じて、 ー同級生内部の秩序と命令系統 が創られるからだ。 つまり組織化されるのだ。 先生達やソンベ達は、 この内部闘争の結果、 「頂点を極めた!」 一番強い生徒やフベに命令することで オレ達の同窓生に対する ー組織的な統制 をとることができるわけだ。 先生達は、 運動会や学芸会、 朝鮮人連盟の得意技のマスゲーム等の練習に 一番強いリーダーを利用する。 ソンベの中には、 フベからお茶代を集めるために利用する(いわば内部恐喝)、 チャサイのもいるが、 普通は、暴走族や不良学校等、 生意気にも団体でオレ達に挑戦してくる 「チョッパリをしめるため!」 の 「組織的掃討戦!」 で一番強いリーダーを利用するのさ。 (3ー1ーロ) 対外的なタイマンは、 ー偶発的におこるタイマン と ー目標達成のためのタイマン とにわけられる。 偶発的におこるタイマンは、 動物的本能が爆発するくだらないものだ。 オレ達朝高生は、 「チンピラやヤクザになるために ケンカをしているわけではない!」 ので、 こんなくだらないことを語ること自体が、 「汚らわしい!」 のだ。 ところが、 「目標達成のためのタイマン!」 は、意味がまったく違う。 たとえばだ。 近隣同士の不良学校は、だいたい仲が悪い。 だから不良学校同士で 些細なことからいがみあい抗争に発展することが多い。 インテリの李先輩は、 「日本人の不良高校に集まる連中は、同じ穴のむじな。 バカだから、そこにしか入れなかったわけで、 親や周囲も高校が決まった時点で、 自分の子供の将来にまったく期待しなくなる。 一応、このご時世で、 ー中卒じゃ惨めすぎるし、就職先がない! ということで通わせるようだ。 親の気持ちが何となくわかるんだなぁ。14〜5歳でも。 身体が大人へと変化する難しい思春期だというのに、 未来にまったく希望が持てないわけだから、 何もかも嫌になるんじゃないかなぁ。男も女も。 だから反抗期に拍車がかかり、不良化すると思うなぁ。 だいだいそういう連中は、 自分と同じようなみじめな人間を嫌う傾向がある。 つまりだ。 自分と似たような境遇の他校の不良を見ると、 自分自身を鏡に映しているようで、 生理的に嫌悪感が増幅されるんじゃないかなぁ。 だから殴りたくなるんだろう。男は。 まぁ、普通の日本人から見れば、 朝鮮高校も同じ穴のむじななのかも知れないなぁ」 と溜め息混じりに言ったが、 オレ自身、何となくわかる気がして、不愉快になった。 不良学校同士の抗争は、 最初から、 「レベルが違いすぎて勝負にならない!」 ことも結構ある。 こういう場合は、 弱い不良校の番長クラスや紛争当事者が、 強い不良校の番長クラスに平和的に詫びを入れるか、 襲われてヤキを喰らって終わる。 ところが、不良校の勢力が拮抗していると、 そう簡単には済まない。 拮抗しているヤクザの縄張り争い同様、 「やられたら、やりかえす!」 の繰り返しとなり、泥沼化することが多い。 ー果てしない報復合戦! を繰り返すわけだ。 しかしだ。 社会や親からまったく期待されていないアウトロー学生といえども 「将来の就職先は、広域暴力団の**組です」 と心に決めている奴は少ない。 だから、 不良同士のケンカといえども、 えもの(武器)をもたず 素手素足という 「ケンカ・ルールを守る!」 ので、 死人がでることはほとんどなかった。 また、番長クラスがまともなら、 不良校間の抗争が、 新聞に取上げられて社会問題化したり、 警察少年課のマッポ(警察)が動き出すことを恐れる。 これ以上、騒ぎが大きくなると ただのガキのケンカではすまされなくなるからだ。 お互いの仲間が、 マッポに捕まったり、 ヤクザがチンピラ構成員を作るため 介入してくるおそれが生じた場合にもだ。 誰だって、 「少年院やら鑑別所にぶち込まれたくはない!」 のであり、 好きこのんで、 虎だとか 龍だとか、 唐獅子ボタンだとかを 「痛い思いをして身体中に書きたくない!」 のだ。 そこで、番長クラスには、 ー不良の抑止力! が働き、 「そろそろ潮時だ」 と、考える。 結論は、ひとつ。 抗争に明け暮れている不良学校が、 それぞれの代表=大将を選んでの 「タイマンによる最終決着!」 をはかろうとする。 敵対する主要メンバー立ち会いの下、 「抗争終結という目標達成のためのタイマン!」 が始まる。 大将として選ばれるのは、 表番でも裏番でもどちらでも良いのだが、 普通は、 「一番強い!」 と言われている裏番がでてくる。 番長クラスのタイマン開始。 えもの(武器のこと)は持たない素手のタイマンだ。 なかなかどうして大将戦のタイマンは迫力がある。 けれども、もともと、お互いが 「はやめに手打ちにしないとやばい」 と危機感があるため、 「時間切れ引き分け!」 になることが多い。 お互いが負けを認めないからだ。 大将同士のタイマンの結果、 引き分けならお互いのメンツも立つし 円満に鉾をおさめられる。 殴り合った同士は、 「昨日の敵は今日の友!」 という奇妙な友情が芽生えることもあるようだ。 ところがだ。 ー朝鮮高校対士官大 の場合、 こういう円満決着になることはまずない。 Q、どうしてなのか? って。 そりゃオレにもわからないよ。 ただ、なんとなくわかることは、 オレ達が 「朝鮮人魂!」 をかけて闘っているのと同様、 士官大の連中も 「大和魂!」 をかけて闘っているからだと思う。 |
(4) (4の1) (4の2) (4の3) (4の4) |
強くなるための ー明日のためのその5! 優秀な朝鮮民族の未来の主人公たる朝高生は、 敵地・日本において、 「朝高魂を片時も忘れてはならない!」 のだ。 「ケンカは売るな! ケンカを売られたら買え!! ケンカを買ったら負けるな!!! ケンカに負けたら学校には来るな!!!!」 この朝高魂を常に胸に秘め、 臨戦態勢を堅持しなければならない。 学校外ではもちろん、 同胞だけしかいない学校内でも忘れてはならないのだ。 だからこそこの朝高魂は、 朝高生活のありとあらゆるシーンで叩き込まれてゆく。 とくに、ソージョ・ファルトン(部活動)や体育の授業は、 見ているだけで、 アッチっち〜 と火傷するくらい熱かった。 (4の1) 朝高ではケンカに使える格闘技の部活が盛んだった。 だけど、柔道はまったく人気がなく、 レスリングは部活そのものがない。 朝高で組技系格闘技が人気がないのは、 ケンカにすぐ役立たないからだと思う。 相手を投げ飛ばしたり、 絞め落としたりするためには、基礎体力が不可欠だ。 けれども、それをつくるためには、 組技系格闘技に最低限必要な 基礎トレーニングをしなければならない。 しかし、これにはかなりの時間を費やさなければならない。 つまり組技系格闘技をケンカに使うためには、 時間がかかりすぎるというわけだ。 ところが、朝高に挑んでくる日本人アウトロー学生、 なかんずく強敵・士官大との戦いに、 そんな時間的余裕はない。 戦うのが明日かも知れないし、 今日かも知れないし、 1時間後かも知れないからだ。 だから、 「ケンカに強くなりたい!」 と決心した朝高生は、 即効性のない組技系格闘技を始めることは殆ど無かった。 もう一つ朝鮮人らしい理由を挙げれば、 「男同士、何が悲しくて抱き合って喜んでいるのか? ポトッ、ポトッ と落ちてくる野郎の汗。 オっえぇ〜、 考えただけでもおぞましい」 といった寝技に対する偏見がある。 だから朝高では、 ケンカ・テコンドーや ケンカ空手、 ケンカ・ボクシングなどの打撃系格闘技のソージョが盛んだった。 打撃系格闘技は、 基礎体力がなくても習って3ヶ月もすれば ケンカに十分使えるからだ。 つまり即戦力となる打撃系格闘技は、 熱しやすく冷めやすく、 すぐに結果を求めがちな在日朝鮮人には、 大変向いているのだった。 かくいうオレ自身もそうだった。 オレはもともとケンカが弱かった。 体も小さく、 骨川筋衛門だったので、 同級生の中でも、いじめられっ子状態だった。 しかし、敵は容赦が無かった。 朝鮮人小学校5学年生の夏、 家の近所の北六郷中学の奴ら4人に囲まれて、 ボコボコにされた。 殴られたことよりも、 まったく抵抗できなかったことが 情けなくて情けなくて、 涙が枯れるまで泣いたことがあった。 オレは、ヌナ(姉)の化粧鏡に映っている 顔中が青タンで腫れあがり、 目を真っ赤にしながら泣いている 情けない自分自身の顔を見ながら、 「くそ〜う! かならず強くなって、あいつらに復讐する!!」 と誓い、 当時、創立間もなかった 「日本ケンカ・テコンドー協会」 に入門した。 あれから5年以上の歳月が流れた。 オレはケンカ・テコンドーのお陰で強くなった。 誰からも侮られなくなった。 むしろ他人から恐れられる強者になった。 「強いことが正義だ!」 と信じて疑わなくなっていた。 だから朝高入学時には、 躊躇なく、 弱かったオレを救ってくれた ケンカ・テコンドー部に入部した。 ある日、部活の顧問先生が、 試し割り演武の練習で、 両手で八分板を持ちながら力強い口調で言った。 「これをチョッパリだと思って割れ!」 そう言われれば、完璧に割るしかない。 オレは普段よりも2枚も多い6枚の八分板を ケンカ・テコンドー創始者・宗師範先生直伝の 跳び後ろ横蹴り でビシバシに割った。 しかし、ケンカにすぐ使えるからと言って、 打撃系格闘技が朝高で一番盛んな部活だったわけではない。 最も人気の高いスポーツといえば、 疑いもなく ー蹴球(チュック。サッカー) だった。 (4の2) まぁ、これは、朝高に限らず、 在日朝鮮人全般に言えることだと思う。 なにせ昔からの伝統だ。 朝鮮人は、 日帝(イルチェ)の植民地にされていた頃から、 「蹴球だけは、 倭奴(ウェノム。日本人の蔑称)に負けない!」 と気合いが入っていたし、 実際、 「強かった!」 と先輩達から教わっている。 インテリの李先輩が言うには、 「昔から日本がサッカー後進国で、 人気が無く、弱かったことも関係しているんじゃないかなぁ。 日本人は、野球が好きだから、 野球に身体能力が高いのが集まるけど、 朝鮮人はまったく逆で、 野球にはまったく興味がなく、 蹴球に身体能力が高いのが集まったと思う。 だから蹴球に関して言えば、 朝鮮人チームは、日本人チームに負けなかったんじゃないかなぁ。 それに、数年前のワールド・カップでの歴史的大事件。 あの感激が忘れられないんじゃないかなぁ、朝鮮人の男達は」 李先輩の言う ー歴史的大事件 とは、 1966年開催のFIFAワールド・カップで、 ーサッカー後進地域・アジア の代表として参加した北朝鮮チームが、 ー優勝候補のイタリア・チーム を破って 「アジアの代表チーム初のベスト8!」 を成し遂げたことだ。 北朝鮮国内はもちろん、 敵対していた南朝鮮(韓国)でも、 「韓(朝鮮)民族の快挙!」 として祝福したそうだ。 在日朝鮮人もしかり。 善良なる朝鮮人はもちろん、 朝鮮人ペルゲンイも、 朝鮮人右翼も、 朝鮮人ヤクザも、 朝鮮人悪徳高利貸しも、 朝鮮人個人利己主義インテリ・ナルシストも、 みなが皆、 歓喜の涙に酔いしれた。 「ほらみろ! やっぱり朝鮮民族は、強くて優秀だ!」 と自分自身に言い聞かせたのだ。 だから、朝高での蹴球人気というのは、 先輩達から脈々と受け継がれてきた ー朝鮮民族の矜持の源・DNA! と言えなくもないのだ。 (4の3) 「蹴球大好き民族!」 の朝鮮人が、 後進の子弟を育てるために創った朝鮮学校に、 「蹴球部が無い!」 なんてことは、 あってはならないことだった。 朝鮮学校に通う男子なら、 「かならず蹴球をやれ!」 という不文律の伝統があった。 だから、朝鮮人男子学生は、 小学校から中学校迄の6年間、 当たり前のように、 ーFIFAワールド・カップ アジアの代表チーム初のベスト8! を成し遂げた ー北朝鮮式蹴球の基礎 を叩き込まれ、 1年に一度実施される 全国朝鮮人学生体育大会・蹴球大会 で技を競い合うのだ。 この大会で活躍すれば、 「蹴球の天才少年!」 として在日朝鮮人社会で一目置かれるのだ。 そういう環境だから、 朝鮮中学で、 「蹴球の才能がある!」 と認められた男子は、 朝高に進学すると言うよりは、 「朝高蹴球部に入部する!」 ために朝高生になるのだった。 だから、朝高では、 男子生徒で、 「スポーツ万能!」 といえば、 「蹴球がうまい!」 と同意語だった。 逆に、サッカー以外のスポーツが、 いくらうまくても、 蹴球がうまくないと、 「あいつは、スポーツ万能なんかじゃない! トラッピングもできないじゃないか!!」 と陰口を叩かれる、 そんな風土が朝高にはあった。 だから朝高蹴球部のレギュラー争いは熾烈だった。 なにせ朝高蹴球部は、 日本の高校サッカー界で、 戦前から、 「幻の日本一!」 と噂されていた強豪だった。 ゴール前での空中戦のヘディング技術は、 日本の実業団からも高く評価されており、 日産自動車サッカー部や古河電工サッカー部等の実業団の若手や 日本の大学や高校のサッカー強豪校が、 朝高を訪れて練習試合を盛んにしていた。 朝高の隣にある帝国高校サッカー部なんてのは、 朝高蹴球部との練習試合で強くなった典型だ。 ーどうして「幻の日本一」なのか? って。 朝高は文部省から認可を受けていない各種学校扱いなので、 国体はもちろん 全国大会の予選にすら出場できなかったからだ。 活躍の場を閉ざされている朝高蹴球部部員にとって、 日本の強豪校との練習試合は、 タイマン同様、 真剣勝負そのものだった。 対戦相手の日本人サッカーチームが、 「練習試合だから」 とか、 「日朝の親善だから」 と軽い気持ちで試合をすると、 コテンパンのケチョンケチョンにやっつけられる。 なにせ朝高蹴球部には、 練習試合でしか自分達の強さを証明できる機会が無い。 だから、漫画「魔太郎がくる」の魔太郎のように、 「オレ達は、全国大会の予選にすら出れない。 この怨み、晴らさでおくべきか!」 ともいうべき怨念にも似た気合いが、 イレブンのすべてにみなぎっていた。 なので、相手がどんなに強豪校であっても、 憶することはまったくない。 だから練習試合といえども、常に真剣勝負そのもの。 「ウリ蹴球部こそ、日本最強のサッカー部だ!」 という揺るぎない矜持が爆発し、 朝高蹴球部伝統の激しいタックルやスライディングで 相手高校選手の戦意を奪うのだった。 こんなわけで朝鮮高校蹴球部は、 自校のグランドでの練習試合で負けることは殆ど無かった。 「勝って当たり前!」 だったのだ。 もし、仮に練習試合とはいえ 日本の高校サッカー部なんかに負けたりしたら、 OBの先輩達から非難囂々。 「負けたら蹴球部OB会に永遠に顔を出せない」 くらいのプレッシャーが、 現役部員にはあったらしい。 (4の4) 日本の高校サッカー界で、 「無敵の朝高蹴球部!」 を率いるのは、金球神(キム・グシン)監督だった。 金監督は童顔で実際の歳よりかなり若く見えた。 いつも口を「へ」の字にまげながら、 西郷隆盛のようなでっかい目で、 ギョロッ と朝高生を見る癖があり、 目尻のしわが一つも無いスベスベの肌と テカテカのオール・バックの髪型が トレードマークだった。 見ようによっては、 アマガエルに似ていなくもない。 当時の日本のサッカー界は、 国内最高峰の試合をやっても、 ガラ〜ン、ガラ〜ン の閑古鳥が鳴く、 まったく人気のないマイナーなスポーツだった。 だから、選手層も薄く、 どこの実業団や大学体育会も人材難だった。 そこで朝高蹴球部から、 生きのいい優れた戦力を補充しようとしていたのだ。 だからサッカーの実業団や大学指導者は、 金監督に、ペッコペコ。 盆と暮れには、 お中元やらお歳暮がドッサリ。 秋の3学年生の引退シーズンを迎える頃の週末は、 接待攻勢で大変だったらしい。 「ぜひ、うちにセンター・フォワードのユン君をください!」 ということらしい。 でも一応、金監督は、 朝高の体育教師だったから、 片手間ながら 一般男子学生の体育授業を担当することがあった。 この ー永遠の童顔朝鮮人サッカー青年 金監督の授業は、蹴球一筋。 たまたま自分の足下に転がってきた 排球(ペーグ。バレーボール)のボールも 絶対手で触ろうとはしない。 籠球(ロング。バスケットボール)も同じだ。 左足の甲で、 ヒョイッとすくいあげると、 すかさず右足のボレーシュートで ボールを拾いに来る生徒に返すのだった。 まさに「空手バカ一代」を彷彿させる 「蹴球パボ(バカ)十代」の金監督。 彼は初対面の1学年生の初授業で、 毎年決まって同じことを言った。 サッカーボールを両手で持ちながら、 真剣なまなざしで、ただ一言。 「これをチョッパリだと思って蹴れ!」 と力強い口調で吠えるのだった。 純粋かつバンカラなガキどもが、 著名な金監督から、 朝高魂を叩き込まれれば、 否が応でも気合いが入り、力んでしまう。 あまりにも興奮しすぎて、 サッカ・ボールではなく、 同窓生の足や腰、 ひどいのになるとボレー・シュートと称して 顔を蹴ってしまう奴もいた。 眠気を覚ますのが大変な ー金日成革命歴史 の授業。 オレの隣の席に座っているマブダチの 林勝吉(リム・スンギル)が、 「おい、明宗」 と静かに言った。 「ん? 何?」 「あれ、何やってんだ?」 「蹴球だろ。蹴球部の運動場でやってるし」 「そうか〜? でも、変だなぁ〜」 「何が?」 「ほら、見ろよ。顔面蹴ってるぜ、あいつ」 「あっ、本当だ。鼻血だして倒れてら」 「それに、あれ、あいつ、両手をあげて顔面をガードしてるぞ」 「ほんとだ。蹴球に顔面ガードってあったっけ?」 「おっ! あいつボールと逆の方向で跳び蹴りしてるぞ」 「おかしいなぁ〜、 ケンカ・テコンドーは、ボールは一切使わないんだけど」 3号館の教室の窓から、 金監督の体育の授業を遠目に見ると、 これがサッカーなのか、 ケンカ・テコンドーなのかが、 わからなくなってしまうのだった。 |