『小説朝鮮高校物語ー士官大「天長節」新宿決戦』 第1部朝鮮高校青春グラフティー 第イイ章 朝高魂 <トゥル> 朝高伝説 |
朝鮮高校には、敵地日本での創立以来、脈々と受け継がれてきた伝統がある。 「ケンカは売るな。 売られたら買え。 買ったら負けるな。 負けたら朝高には来るな」 の朝高魂もその一つである。 この朝高魂を実践してきた校史に残る歴代の猛者達は、 後輩達から絶大なる尊敬を受け、 「朝鮮の士大夫とは、かくあるべきだ!」 と絶対的な憧れの対象となり、 そのケンカの勇姿やエピソードが 朝高伝説として後輩達に脈々と語り継がれて行くのである。 |
(1) (1-1) (1-2) (1-3) (1-4) (1-5) |
(1)朝高スタイル 朝高生は、身だしなみに気をつけなければいけない。 ビシッ! と朝高スタイルで武装し、 ケンカの修羅場を経験してゆけば、 朝高魂が自然と身に付いてくる。 それが伝統の重みというものだ。 (1ー1)髪型 朝高スタイルで、重要なのは髪型だ。 とくに、ほぼ1ヶ月後に 士官大との天長節決戦を控えた1学年生は、 朝高生御用達の床屋に、 「オヤジ! オレも4月から晴れて朝高生だ。 ビシッ! と決めてくれ!!」 「あいよ!」 と気合いを入れて髪型を決めなければならない。 朝鮮中学の頃は、 暴力教員に五分刈りを強要されたけど、 晴れて朝高生となったからには、 サイドバックのアイパーを ビシッ! と決めなければいけないのだ。 ポイントは、髪先だ。 他人が髪先を触れようものなら、 そいつの手のひらが、 シュッ! と切れて、 血が ジワー と滲むような そうな鋭さが欲しい。 これこそが、 新1学年生の最もポピュラーな伝統的な髪型 「朝高カミソリ・アイパー!」 である。 オレの先輩で、 「朝高カミソリ・アイパーの鏡!」 と絶賛された李慶成(リ・ギョンソン)ソンベがいた。 この先輩は、ほぼ毎日、 朝高近隣の理髪店タカハシに通い詰めていた。 何でもオヤジに100円払って 前髪の手入れをしてもらったそうだ。 そうそう、 「髪型の鬼!」 という異名を得ていた 郭淳日(カク・スニル)ソンベも忘れてはいけない。 この先輩は、毎日、朝早く起床して鏡とにらめっこ。 髪型固定スプレーをかけまくり、軽く1日1本空けたらしい。 ビシッ と決まらないと、 「オモニ、髪型が気に入らないので、今日、学校を休むわ」 と髪型に学生生活のすべてをかけていたらしい。 噂では、朝高卒業数ヶ月後、禿げたらしい。 現役は、楽しい夏休みが近づけば、 「朝鮮人のチョルチョンジヲンス(不倶戴天の敵)!」 ミジェ(米帝)=アメリカで差別されている 黒人のようなニグロや ヤクザか暴走族で流行のパンチパーマー をあてるのも結構お勧めだ。 そうすれば、 「まさか、この顔で高校生のわけないだろう?」 と警官が思うに違いない。 「未成年者お断り!」 だと。 「ケッ、笑わせるな!」 朝高スタイルで武装すれば、 どこだろうが、オール・フリーパスだ。 第2外国語の日本語の授業で、美人のたとえで 「立てば芍薬(しゃくやく)、 座れば牡丹(ぼたん)、 歩く姿は百合の花」 という諺を教わったけど、 さしずめ朝高スタイル・髪型バージョンで武装した朝高生は、 「立てばパチンコ、 座ればマージャン、 歩く姿は馬券買い」 と言えるだろう。 この朝高スタイルで、 新宿の歌舞伎町あたりを数人で徘徊すれば、 地元のヤクザ顔負けの異様な暴力的雰囲気を醸し出す。 だけどだ。 「オレ達は誇り高い朝高生だ!」 という自覚を片時も忘れてはいけない。 たとえば、髭をはやしたり、 額にソリを入れて喜んでいると、 「おまえ、少年院帰りのチョッパリか?」 と先輩や同輩から笑われ、 「あのソンベはチャサイ」 と朝中の後輩から侮られてしまう。 やはり朝高生は、 髪型ひとつとっても チョッパリの髪型とは一線を画す 「矜持と自負心に満ちたこだわり!」 が必要なのだ。 (1ー2)学ラン 朝高スタイルで、重要なのは学ランだ。 学ランの色は、 左翼系の学校であるにもかかわらず、 ファシストや 右翼教育の牙城・士官大の学ラン=ジャバラ と同じ黒だった。 「三ペン」をつけるカラーの高さにも暗黙の決まりがあった。 まぁ、5〜6cm位がベストだ。 これ以上高くなると、 顎が引けなくなり、 大陸から玄界灘を渡って脈々と受け継がれてきた 「伝家の宝刀・パッチギ(頭突き)!」 の威力が落ちるからだ。 このパッチギ攻撃が、 あまりにも、 チンピラ・ヤクザや チョッパリ相手のケンカで 決まり過ぎるので、 いつしかアウトローの世界では 「チョーセンジン・パンチ」、 と恐れられ、 略して 「チョーパン!」 と呼ばれるようになった。 次いで学ランの肩幅は広くし、 胸回りはやや狭めで、 胸の筋肉がピッチリ盛り上がっているのを誇示し、 ウェストは引き締めながら、 おしりは緩やかに包み込むようにする。 つまり体の線が キッチリ逆三角形に見える学ランが理想だ。 学ランの裏地にも凝らなければダメだ。 けれども、日本人のアウトロー学生とは、 髪型同様、一線を画さなければならない。 アウトロー学生御用達の老舗並木 あたりが流行らせた 竜とか虎とかは チョッパリのようでチャサイ。 やはり朝高生は、地味なえんじ色や濃紺の一色がシブイ。 「祖国統一!」 とか 「朝鮮万歳!」 と刺繍を大きく入れれば完璧だ。 朝高生らしい立派な学ランを着るためには、 ケチってはいけないし、 手間暇を惜しんではいけない。 通常4万円、奮発して10万円、 妹を質に入れても用意すべきだ。 各地の朝鮮中学御用達の学ラン専門店に 生地の選択、サイズ合わせ、仮縫い、再仮縫い等、 最低でも5〜6回は通う情熱が必要なのだ。 戦国の武将が、戦の時に、 危険を顧みず、 わざわざ目立つ鮮やかな鎧兜を着用する心意気と同じなのさ。 オレ達が学ランにこだわるのは。 「闘う男は、美しさにこだわりをもて!」 これも朝高魂と言えるだろう。 (1ー3)ボンタン 教育ママゴン達から 「まっ! 下品ざます。あのダボダボ・ズボン!」 と目の敵にされているボンタンも、 朝高スタイルには、絶対欠かせない。 とくに熱い夏場は、 学ランを着ないので、 通年で履くボンタンには、 こだわりがなければならないのだ。 学ランを着ている春や秋と冬には、 ワン・タックが主流だが、 夏は立体感のあるツー・タックが主流となる。 これは下半身を立体的に見せるための 朝高的オシャレと言えるだろう。 腰回りのループの高さは平均で5cm位。 気合いが入っている奴のは最高30cmで、 ほぼ腹巻き状態だった。 そこに牛の本革の黒ベルトをしめるのがオシャレだった。 合皮では絶対ダメだ。 それはチャサイ。 ベストはワニの本革ベルトだ。色はもちろん黒。 ボンタンの丈の長さは、 足の長さに比例するわけだが、 朝高生は、皆、見栄っ張りなので、 実際の長さよりも5cm位は長くした。 だから裾下のかかとの部分を歩くつど引きずることになり、 2ヶ月もすればそこだけボロボロになる。 だからオレ達は、2着あつらえておく。 (1ー4)ゲソ 朝高生は靴にもこだわりがなければいけない。 ゲソ と呼んでいた牛の本革靴を ボンタンの裾下で さりげなくおおって隠すのがオシャレだった。 やはり靴もベルト同様、合皮ではダメだ。 本皮がシブイ。 できればイタリア製がいい。 学ランやボンタンをはいて街を闊歩しながら、 ピカピカに黒光りしたゲソが、 チラッ と見えるか見えないかが粋だった。 だから裾下の幅は、だいたい28〜35cm位がオツだ。 そうそうゲソのかかとに 金具をつけるのもオシャレだった。 歩くと、 カチャッ、カツ〜ン、 かちゃっ、かつ〜ん という粋な音が響き渡る。 朝高関係者が陶酔した 名画「ローマの休日」のラストシーン。 宮殿に響き渡るグレゴリー・べックの 「シブ〜イ足音。うっとり・・・」 に近づけるのが理想だ。 まぁ、そこまでは無理でも 金具の音だけで 「あれは朴**の金具の音だ」 と識別されようになればベリーグッドだ。 (1ー5)チョン・バック 朝高スタイルでは、チョン・バックは必需品だ。 これもチョーパン同様、 アウトロー学生界で 「朝鮮人かばん」 が略されたものだ。 かばんがバックという英語に出世したのは大変めでたい。 チョン・バックに、 教科書や筆記用語なんてものは入れてはダメだ。 学生かばんだが何も入れないのが朝高スタイルだ。 薄いのがオシャレなのだ。 夏には冷房のないクソ熱い国鉄電車の中で、 それを片手で持ち、 パタパタ とうちわ代わりに使うのが朝高スタイルだ。 もちろんベルトやゲソ同様、合皮ではダメだ。 牛の本革製でなくてはいけない。 一目見れば、 黒光りして年季が入っていることがわかる、 そういう古いものほど値打ちがあり、 ステータスが約束される。 最も価値が認められるチョン・バックは、 「鬼のようにケンカが強く!」 アウトロー学生界では、 「その名を知らない者はいない!」 と畏敬されている 「朝高伝説のソンベ!」 の名前がナイフで刻まれているものだ。 これは持っているだけで箔がつき、羨望の眼差しだった。 奇妙なことだが、 日本人のアウトロー学生の中にも、 熱烈なチョン・バッグ蒐集マニアがいて、 そいつらの間で、 プレミアがつき、 高値で売買されることもあった。 オレが知っている最高値は30万円だった。 しかもだ。 何故だかわからないが、 オレ達から年柄年中、 殴られているチョッパリの間でも、 チョン・バッグが流行っていた。 不思議なことだが、 オレ達朝高生の宿敵・士官大付属の高校生も チョン・バッグを好んで持ち歩いている。 きっと左翼であれ、 右翼であれ、 バンカラ学生には、 共通する好みがあるのかも知れない。 まぁ、奴らの場合、 「朝高生とのケンカで勝ってチョン・バッグを取りあげた!」 と自慢するために、 持ち歩いていたのかも知れない。 実際、本当に勝ったかどうかはわからないけどな。 なぜならオレ達に、 ケンカで勝つのは容易ではないからだ。 |