名前 生年月日 出身地 出身高校 大学 特技 愛好スポーツ 趣味 好きな言葉 |
尾崎 圭司(おざき けいじ) 1980年生まれ 神奈川県平塚市出身 神奈川県立茅ヶ崎鶴嶺高等学校卒業 神奈川大学国際経営学部在学 水泳(元日本記録保持者) サーフィン、ウェイクボード ビリヤード、ギター 最強 |
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テコンドーとの出会い テコンドーとの出会いは、神奈川大学入学・神奈川大学体育会平塚校テコンド−部入部です。 子供の頃から格闘技に興味があり、大学に入学したら始めてみようと思っていました。 当初、かるい気持ちで始めたテコンドーですが、蹴り技の素晴らしさ、華麗さに次第に引かれていき、 今日にいたっております。 |
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全日本大会への思い 日本初のフルコンタクト・テコンドー無差別級王者を決定する全日本大会を盛り上げていきたいと思います。 現在、ランキング第1位と評価を受けておりますが、おごることのないよう、初心を忘れず全日本大会に向け て日々精進していきたいと思います。 |
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プライベ−ト写真からみた弟子の個性 尾崎の慰労を兼ね盛島、仮屋山をともない三浦シ−ボニアマリ−ナから相模湾・湘南のクル−ジングにでかけた。 ところが航海中、強い風と波、そして強い雨に襲われた。葉山・逗子から江ノ島まで行くことは断念し、急遽、マリ−ナへ戻ることを決断した。我々の小型船は、波がきてはジャンプすることしばしばで、操縦していた私は、内心「ボ−トが転覆するのでは?」と心配になった。強い横波を避けるため、止むなく南下したが、マリ−ナを通り過ぎてしまい、しかも視界が悪くなった。城ヶ崎を過ぎ、東京湾まで進んでしまう一歩手前だった。 「みなだいじょうぶか?。手すりにつかまって海へ落ちないように!」「だいじょうぶです」心配性の私は、ふと、悪い想像をした。「テコンド−指導者、無謀な出航」という新聞の見出しと、「どうも申し訳有りません」と遺族に土下座する私の姿だった。 私は雨の冷たさで手の間隔がなくなってきたが、気力をふりしぼって操縦した。やがて小型船は、幸運にもマリ−ナへたどりついた。私はホッとし、皆の顔をまじまじと見ながら尾崎に言った。「尾崎、だいじょうぶか。怖くなかったか」「スリルがあって楽しかったです。えっ、もう終わりなんですか!残念だな〜」 「・・・」 私の顔は「平成枯れススキ」であったが、尾崎の顔は写真で見るとおり「ハウ・メニ−・いい顔」(30代以上の人にしか分からないかも)だった。 河 |
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